【判明!】担任の驚愕の正体とは・・・
担任の名言の中に「私は教師ではない。大学に受からせる指導者だ。」
というものがある。
その言葉通り担任は学校行事には顔を出さなかった。
運動会や文化祭などは朝補習にきて姿が一切見えなくなり、車も消える。
そして放課後の時間になれば帰ってきて
放課後補習をしてまた車とともに消える。
高三の後半などはほぼ自習で何日も姿を見せない日もあった。
要するに授業をする時以外担任の姿を見ることがなくなっていた。
私たちはその頃になるともうガッチリ習慣が身についており、
すべて自分らを律することができていた。
遅刻ゼロ。服装検査、持ち物検査で引っかかる者なんているわけもなく、
校歌も全力で歌うし、各教科の小テストは常に合格。
まさに模範囚。
そんな日常を経て卒業である。
卒業式の朝も私たちは変わらず7:30には自習をしていた。
当たり前のように担任は来ず、委員長が式典の時間を確認し、
5分前行動の5分前行動の原則を厳守しつつ整列して歩き、
まだ準備中の会場の中でプリントと参考書を開き黙って座っていた。
式典が始まる。
まだ担任を誰1人確認できていない。
全校集会や何かの式典の際、誰かが担任の姿を確認すると
「担任注意」という秘密のサインを送ることが
私たちのルールであったがまだサインはない。
そして、卒業証書授与。
生徒一人一人の名前を呼ばれる。
「三年●組、卒業証書を受ける者。」
久しぶり聞く担任の声。
全員が一斉に秘密のサインを送る。
わかっとるわ。
「以上●名」
式典が終わる。教室に戻る。またプリントと参考書。続々と集まる保護者。
保護者の声だけがヒソヒソと響く。
下の階から他のクラスの騒ぐ声が聞こえる。保護者も唖然としていた。
「何の時間?」というような怪訝な声も聞こえた。
保護者としてはやはり下の階のような状態をイメージしたのだろうが、
実際は席について誰一人喋ることなく
勉強をしている。我が子に声をかけることすらできないでいる。
教室のドアが開き担任が入ってくる。
私たちは一瞬でわかった。
「なんかキレてる!!!」
私たちはこの担任と長い、濃密すぎる時間を過ごした。
だから微表情というか雰囲気でわかってしまうのだ。
これは殴られる時の、何かバレた時の雰囲気だ。
いやいや、ここでやられるのはごめんだ。
保護者の目の前でやられるのはごめんだ。
と思っていたが、予想外のことが起こった。
いつもは堂々と教卓へ向かうのだが、今日は教卓までは行かず、
教卓の少し離れたところで、立ち止まった。
一切私たちのことは見ない。保護者を見ている。
私たちはいつもと違うことに気がつき混乱している。
まさか保護者を殴っていくのか?
連帯責任ってそーゆーことか?
みんなそう思ったそうだ。
静寂。
担任が口を開く。
「今まで、大事なお子様に手をあげてしまい申し訳ございませんでした。」
そういって頭を深々と下げる。
私たちの思考は全停止した。
思いもよらない言葉。
予測できなかった結果。
保護者も唖然としている。
時間なんて計っている余裕なんてなかったけど、
随分長い間頭を下げていた気がする。
そして頭を上げ、ポツポツと話し始める。
自分には兄弟がいて末っ子であること、
上の兄弟はみんな頭が良く
有名な高校や大学に進学したこと。
自分は小さい頃から勉強ができず、
いろんな人からバカにされていた事、
兄弟と比べられて悔しかった事。
悔しすぎて悔しすぎて悔しすぎて悔しすぎて、
悔しすぎて悔しすぎて悔しすぎて悔しすぎて、
狂ったように勉強した事。
そして見事難関大学に合格した事。
私たちが常に言われていたコト。
「公立に落ちたお前らは負け組だ。お前らはこのままだとずっと負け続ける。」
この言葉は私たちを縛るものでも、私たちを奮起させる言葉でもなかった。
この担任の、いや1人の男の経験だったのだ。
「この子らはできない子じゃない。
最初のテストでさえ私の当時の成績より随分よかった。
でも大学には受からない。なぜならこの子らは一度負けているからだ。
今からでも大逆転は可能だということをわかって欲しかった。」
この事を話す担任の目からは
たくさんの涙がこぼれていた。
私たちは別の意味で怯えていた。
今まで悪の権化とさえ思い、恐怖し、震え上がっていた彼は
今まで、私たちの人生をすばらしいものに変えようとしていた。
すべてが繋がる。
いきすぎた生活指導。数学のテスト作り方。
私のクラスは大半が推薦をされ合格し、
推薦ではなく本試験を受けた子もほとんど受かった。
このクラスには推薦されても何もおかしくない模範囚しかいないのだ。
ガチガチに学力を高め、ガチガチに生活を縛り、
大学に受かるための伏線を張り続けていたのだ。
私たちの負け組人生を覆すために、悪の権化になって私たちを殴り倒した。
個人的な話をすると、
この担任からは勉強以外に教わったことが多いと思う。
挨拶、時間厳守、敬語の使い方やミスをしたとき、
失敗をした時の責任の取り方、
報告・連絡・相談、社会人で習うであろうことはすべて身についていた。
連帯責任のように世の中には理不尽なことがあること、
数学のように物事には一定のルールや規則性があること、
それをハックできれば簡単に問題は解決すること、
日本人は肩書きに弱いということ。
そして、何より自分たちでも現状を変えられるということ。
これは想像の話になるが、
私たちが隠れて漫才の練習をしていたことなんて
すでに知っていたのではないだろうか。
バスの乗り降りさえもなぜか把握していた彼のことだから、
私たちのバスの車内でのこともすべて知っていたのではないか。
そして、柔道場での漫才の件も。
その漫才の結果、他のクラスからの風当たりが弱まり、
少しだが現状を変えたということが不問の理由ではないだろうか。
「努力は現状を変える」
彼が一番言いたかったのはこういうことではないか。
「悪の権化」の正体は、「努力の権化」だったのである。
一般的な楽しい高校生活ではなかった。
同じように大学進学を目指している人も、
勉強こそ、私たちと同等またはそれ以上の努力をしたことだろう。
私たちはプライベートや一一切の楽しみを奪われ、
人との関係を制限され、この時期にしか感じることのできないことは
すべて経験できなかった。
そして個人的なことで言えば、私は小学校や中学校でちゃんとした
人間関係を築くことができなかった。
そしてこの3年間でも人間関係の構築はできなかった。
それは、これ以降の私の人生の大きな弱点として立ちはだかることになる。
しかし、わたしはそんな状況や環境をなぜか誇りに思っている。
あの状況、環境で生きてこれたこと、あの担任の下で生活したこと。
このことは、常に私の強みだと思っている。
学校を辞めたり、自殺してもおかしくないような生活。
たかが「大学進学」という通過点でしかないイベントを
さも世紀末大戦かのように思い込んで、戦っていた。
同級生のことを当時も今も、「友達」だなんて思ったことはない。
卒業後、今現在連絡を取り合う子もいなければ、連絡先さえ知らない。
高校の同窓会なんて開かれもしない。
ただ「大学進学」というお題目を掲げてクラスに入っただけ。
他の人間なんて関係ない。仲良しクラブではない。
ただ日々の恐怖から逃れるために、お互いをお互いが利用していた。
悪い意味ではなくいい意味で。
互いの得意不得意を知り、適正を知り、互いの平穏を守る。
私は彼らを、「戦友」だと思っている。
あの環境を、世紀末大戦をともに切り抜けた「戦友」である。
そして、「努力の権化」である担任は、
「現状を変える」ということを教えてくれた担任は、
どんなときも、私の「ヒーロー」である。
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