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ちょっとだけ異世界に迷い込んだ話:その後
以前「ちょっとだけ異世界」に迷い込んでしまった話を書いたが、
実はこの話には続きがある。
そこそこ経ってから、もう一度その現場へと検証をしに行ったのだ。
無事帰宅した後、彼女にことの顛末を話して、後日行ってみようということになっていたのだ。
検証の結果を書いておこうと思う。
まず、彼女の車で友人を送っていった道をそのままなぞった。
そして問題の帰りである。
「来た道を戻るだけ」なのですんなり元の街に出た。
また友人宅のそばから検証が始まった。
一本道に気持ち程度伸びている分かれ道に入り込んだり、
私の記憶にある異世界の風景に近いところを探したりした。
全くありもしない風景ばかりではなかったのだが、
本当に時間が分岐したような小屋や、時代錯誤の錆びた看板などは発見できなかった。
謎のトンネルは存在した。あまり使われてはいないトンネルのようだったが
確実に存在はしたのだが、そのトンネルに行き着くまでの道のり、風景が
私が見たものとはまるで違った。
釈然としないまま検証を続けていた。
そして、私が立小便をした(であろう)場所を発見した。
昭和初期ぐらいの消防団の建物である。
そう、この“2〜5mぐらい先に”あの謎のバス停があるはずだ。
バス停からもこの建物は見えていたし、こちらからも見えるはずだ。
他に景色を遮る建物はない。
しかしどれだけ目を凝らしても見えない。バス停はない。
あの謎の「シンワイリグチ」というバス停はない。
あの時はバス停から約25mは歩いた。
なだらかな坂を降りたので、また車に乗り込み目の前のなだらかな坂を登ってみた。
車を走らせること数十分。バス停を発見した。
バス停には「シンワイリグチ」と書いてあった。
この車で数十分の距離を歩いたとは思えない。
そもそもここからではあの昭和初期ぐらいの消防団の建物は見えない。
「あの辺に建物がある」と知っていて見れば、
なんか黒っぽい雑木林とは違う物体がチラッと見えるなぁぐらいである。
あの時私はそこに建物があることなんて知らなかったし、
何よりも尿意で周りをじっくり観察する余裕なんてなかったのだから、
あの建物を発見できるわけがない。
私はあの時、バス停の前に車を停車し自分の目で目視できる距離にあの建物を見たのだ。だから、立小便に向かったのだ。
かなりの時間周辺を車で周って気づいたことは、
存在しない風景、場所ばかりではないのだが、まるである道とある道をカットして違うところに貼り付けたような感覚である。
あの時は長い時間、時代に取り残された小屋しかない道を走っていたのだが
ものの何分かで街にでたり、明らかに入ってはいない小道に入ってみると、見たことのある風景であったり。
結果的には、「帰ってこれたので問題なし」という判決が下され釈然としないまま、あの時迷いに迷った帰路を激スムーズに戻った。
人間は心理的に追い詰められるとありもしない状況を作り出したり、
考えもしない行動をとるものだ。
私ももしかしたら、迷ってしまったことにパニクってしまい、
勘違いに勘違いを重ねたり、過剰に敏感になっていたのかもしれない。
記憶というものはとても曖昧である。
本当にこの道なのか、あの道なのか、
真実は過ぎてしまってからではわからない。
真実はどんなだったのか、それをはっきり思い出すにはもう走馬灯しかないのかもしれない。
例えば、お気に入りだったあの腕時計はいつ、
どのタイミングでつけなくなったのか。
壊れたのかもしれないし、単に飽きただけかもしれない。
壊れた覚えはないし、思い出した今となっては逆に使いたいとさえ思っていたりする。
あの時着ていた服はどうしただろうか。
あの時のキーホルダーはどうしただろうか。
あの時一緒にいた友人はどうしただろうか。
もしかしたら、すべてはあの【夢の中の家】にあるのかもしれない。
存在するはずのない、存在するあの家に。
ただ、私は見たのだ。
私だけは見たのだ。あの風景を。
まるで時代に取り残されたような、ある時代が分岐し、
現実に再現され得なかった風景を。
そこで、私は立ちションをして、戻ってきた。
“ちょっとだけ異世界”。
それはたぶん私が思ってる以上にもっともっと身近なものかもしれない。