批判的社会言語学にstep inする
先行研究を読みあさったり、ターミノロジーをしっかりtake inするために本を読みつつ自分の研究で使えそうなところは引用してそれに対する自分の批判的意見とか自分の研究の観点に合致している点とかをメモメモしていきたい所存。特に記載がない限り引用は以下の通りです。
「正しさ」への問い:批判的社会言語学への試み
―野呂香代子・山下仁(編)(2001)
いや本当にこれをこの一年くらいと言うか、本当は無意識に感じてた気もするんだけど、すごくaware of thisになってきていたというか。社会的に色々な価値が決められているのに、それに操られる私たち、みたいな構図。話し言葉も書き言葉も、結局は社会が何が良くて何が悪いと決めていて、それって「全然〜ない」の例でもそうなんだけど、確かねあれは元々は後ろに否定をとって呼応する副詞ではなかったんだよね、けど途中で否定と呼応しなきゃダメと社会的に規範ができ、そして最近また、(これはいつかnoteで茶化そうと思ってdraftのままのやつなんだけど)すき家のpop(?)でsaying「全然新しい!」なんてのがあったので、こりゃあ人によっては「間違った日本語」なんだろうなと思ったりしたのよね(かくいう私も然り)、けど「全然大丈夫」「全然いいよ」が許容され始めてる(これ出典ないですなんかどっかで聞いた話か私の体感。文献漁ればあると思うけど一旦飛ばす)ということも加味すると、いやほんとに何がこうって決められた不変なものってなくて、やっぱり社会と文化とに形成されてると考えるのがしっくりくるというか。
私もこの「批判」の立場をとって、無批判に受容していた規範によって自分のtextingが影響を受けてるというのをやりたいと思っている。
(これより上部は執筆者一同によるはしがきからの引用で、これより下は第1章野呂からの引用です。最後に参考文献で第1章は書いてあります。多分だけどはしがきって引用する部分じゃないよね)
なんかねここまで見て、一旦自分のやりたいやつが果たして談話なのかはわからないなあとなった。CMCでのfingered speechって談話として扱えるとは思うんだけど、私がやりたいのって最近はどっちかっていうと発信者側に注目した言語形式の批判的分析みたいな(?)感じなので、談話というほど、会話が交差しないかもしれない。まあでもとりあえずこの本を読み切りましょう(実は一年前、学部卒業寸前にもう入れなくなるからとこの本にも手をつけたんだけど難しくて挫折したんだよね、今回はリベンジ!今のところよい)。
この力関係が、この本の例にあったジェンダー的な力関係(例えば、統語論の話のときに、太郎と花子を登場させて、太郎は花子を殴る・花子は太郎に殴られるの文を作った時に、知らず知らずのうちに殴られるのは女性で、殴るのは男性であるみたいな)だけじゃなくて、社会の力、Social PowerとかSocial Direction(違いはまだ調べてないので割愛)(ってかまだわかってないことに対して割愛って言葉使えるのかしら)も含めるのなら、私もCDAの基本姿勢に乗っかってできる感じがありますね。そのコミュニケーション(ここでいう談話だとして)を通して実践される力関係の再生産というのがまさに、まあイデオロギーの強化的な、そういうところと合致するのかなあ(してほしいなあという個人的な希望含め)という感じでございますね。
そうそう、この見えない形で受け入れられる支配的イデオロギーをやりたいのよね。まあ私の場合必ずしも意義を唱えるというよりは、それを書き出したいだけというか、まあ私が意義を唱えたらそれもそれで新たな規範作りの加担って感じもするしなんか社会に影響を及ぼすようなことってできればしたくない(研究する意義。。。)んだよね笑(苦笑)
CDAにはどうやらいくつかアプローチがあるらしい。これは他のインタラクションの社会言語学とか、会話分析とかとの比較とかじゃなく、CDA内でいくつかあるアプローチみたい。私のやつに合致しそうなやつだけ引用しておく。まあ元々はWodakを参考にしたやつを野呂氏がしているので、これは孫引きな気もする。うぬぬ。(って思ったら、Kressを引用したstatementだったので結局孫引きです。ごめんなさい)
でもなんか例を見ると談話をやってる感じはあまりない(いや普通に調べ不足だけれども)ので、違うような気もする。でもなんかスタンスはこれな気もする。わかんないからもう一個。社会文化的変化と談話の変化(Sociocultural Change and Change in Discourse)より。
この間テクストちょっと気になるのでまた調べてみようと思う!!今日はなんかこの一章でもう疲れた!!笑自分、なかなかザコ。。。
野呂香代子(2001)「クリティカル・ディスコース・アナリシス」野呂香代子・山下仁(編)『正しさへの問い:批判的社会言語学の試み』13-49. 東京: 三元社.