一番性悪なのはだれ?#3ー語用論編ー
つづき。前回まで、言語哲学編2回にわたって言語行為論に沿って「失礼します」を分析してきました。今回は語用論編。前回の発話解釈にも通ずるところがあり、その発話(「失礼します」)がどういう意図を持つか、というのを一定に担っている「文脈」にフォーカスして理解を深めたい。(追記:だいぶあいてしまったけどこれからはもっと定期的にこういうのやっていきたいんだぁ。)
ちなみに簡単に語用論が何かというと、言語学のさまざまな分野のうちの一つ。ことばがどう使われてどう理解されるかを研究する分野というイメージがありますが、確証がないのでウィキベディアからの引用を以下に貼っておきます。あと、英語版では語用論は言語学と記号論のサブフィールドとされていて、文脈と意味のつながりを研究する分野ですよ、となっていました。
語用論的観点から発話解釈について考えるときは、その中心は発話文の意味解釈にどうやらあるらしい。その前に発話の意味にも二通りあることを確認しておかなければ。わかりやすかった井上(2013)の論文から。『1つは発話文が持つ一般的な意味(文字通りの意味)』であり、 『もう1つは発話文が帯びる個別的意味(話し手の意図的意味)』である。私の分野ではないけど言語学の分野の説明をするときに一般に理解してもらえるように用いる例で好きな表現があるのだが、それが「時計をお持ちですか」である。これ、前者の一般的な意味で理解した場合聞き手の反応は「はい」か「いいえ」だよね。けど実際にはそんなこと聞いてないのである。お持ちですかといったら、時間が聞きたいのである。そういう「時間が知りたいけど近くに時計もないし自分も持ち合わせておらず、申し訳ないが時間を教えてくれないか」みたいな「依頼」の意味を含むのが後者。こっちが語用論の意味の「解釈」で扱われてる方。
では、意図的意味がどのように解釈されるのか。意図的意味は発話者の発話行為と発話態度の二つに分かれるようで、それぞれどのような解釈プロセスが踏まれているのかを確認していきます。
まずは発話行為の意味解釈から。発話者の発話文が対話者にどう解釈されるか、その過程を一つまとめると、共有知識であるコンテクストを利用し関連性を伝達する、といったとこだろうか。「後ろを通りたい」「道を開けてくれ」がどうして「失礼します」というなんだか曖昧で心的距離感のある形で発話されるのか。井上(2013)に則ってこれを発話意図と表現形式の観点から関連性の理論を参照し考察すると、どうやらこの表現にはこの表現こその「表現効果」、相手に解釈されるだろうという「見込み」、そして受け手のプロセスには、この場合は対話ではなく失礼する側の一方的な発話なので内容ではなくその場のコンテクスト(場面、状況)と慣習的な言語外要因が関わっていると言えるだろう。これについて、もう少し詳しく見ていきたい。
まず、「表現効果」だが、これは、「失礼します」が一見ぼやけた間接的な表現に思えてもその解釈にかかるコストの分だけそれに見合った効果があるということである。少なくとも、そういった効果を期待した表現らしい。
直接的な表現ではないことでかかる発話コストについてはこの「性悪なのは誰」シリーズ第二回目で以下のように書いてます。多分これです。
まあでも実際は、「失礼します」に関しては話のエンゲージメントを高めているような気がするわけでもなければ内容に正確さをもたらしているようにも思えない。むしろふわっと曖昧にしているという印象だけが残る。一体全体これはなんだ。ここからは私の独断と偏見による考察だけど、ポライトネス理論を組み込めば「失礼します」の表現効果は確かにもたらされている気がする。ポライトネス理論については以前尊敬する先駆者まとめでちょこっとだけ触れたが、基本的な概念は以下のような感じ。
「失礼します」という間接的な表現はポライトネス理論でいえば、「通らせてください」とか「道を開けてください」という依頼的な意味を含む限りは少なくともFTAであり、思うに相手の面子を尊重するnegative politeness strategyかほのめかすoff record strategy だと思うんだけど、どうだろう。でもほのめかしだとしたら「寒いねここ」が「窓しめて」の意味になるように、「失礼します」よりも「あっここ混んでますね」とか「反対側から回ろうかな(ボソッ)」とかであるはず、な気がする。ってことはoff recordの可能性は薄いなぁ。そうするとやっぱりネガティブポライトネスストラテジーかな。もちろんその程度としては全然高くはないと思うけど。ネガティブポライトネスでも程度が高いもので言い換えるとしたら「私実はあそこに取りたいものがあって、手が塞がってるのに申し訳ないんですけど少し位置ずらしてもらったりとかってできたりしますか?」とかそういう感じだろう。そこに「お願いできないですか?」なんて聞き手に断る余地を与えたりでもすればかなり程度の高い配慮になる。まあでも「失礼します」はただの「失礼します」だ。少なくとも直接「どけ」とかっていってない時点でbald-on-recordなストラテジーではないし、「あら!ちょっといいところにいるわね〜!私もそっちへいきたかったのよ!」みたいな相手の評価を持ち上げてお願いしてる感じでもないからポジティブポライトネスとも考えにくいだろう。さっきまでの話に戻すけど、ここで直接的な表現である「どいてください」と言っていたら相手の面子を潰しかねない。多分。だから「失礼します」の表現効果はこのポライトネスにあって、相手の面子を保つという効果を持っているんじゃないかなぁと私は考える。どうかなぁ。
さて、moving onだよ、私ってベラベラダラダラ喋りまくっちゃうのよ。相手が意図を理解するだろうっていう「見込み」に関しては、「失礼します」という曖昧な間接表現でも聞き手には「そこを通りたいのでどいてほしい」という意図がしっかり解釈されるし、それはその場面的に他に失礼する要素があんまりないっていう共通の認識、コンテクストによって補強されている、というあたりが言えることかと思う。もしもこれが大学キャンパスでただ歩いていて突然掛けられる言葉だとしたら、「何を?」となるだろうし、「失礼します」が第一声に来る人はなんかたぶん職業的なアレだろう、大抵「すいません」であるはずだ。なので、その場のコンテクストに関連付けされた発話であるというのが大前提であるはずだし、そういうのを語用論の分野、特にスペルベル&ウイルソンの関連理論では二つの関連性の原則ー関連性の認知原則と関連性の伝達原則ーで説明している。少し触れた程度だけど語用論まとめに書いたのでその記事もリンクしておこう。
この二つの関連性の原則によれば、人間の認知は関連性の最大化と連動して働く傾向にあり、どんな意図伝達的行為もその最適な関連性の見込みを伝達する、ということらしい。この原則を取り入れると、「失礼します」が発されたときには、聞き手にはその発話によって意図するところが伝達されるし、聞き手は自分のバイアスや一般知識、経験を頼って最小限のコストで最大限に関連する解釈を得ようとする、というのが前提になっているということかなあ。うーん、これがこういう発話の解釈のプロセスの根底にあるやつだよーみたいな感じかな。とにかく、これらが前提になっているから「失礼します」の発話だけで「通らせてほしい」とか「どいてほしい」みたいな意図を伝達することがまあできるだろうという「見込み」なわけである。うん。ややこしくしてしまった感がある。
そしてその場のコンテクストと慣習的な要因についてだが、これは「失礼します」という発話が依頼と認識された場合にはどうしてそれが依頼と認識されるのか、という部分に関わるものだろう。文字通りの意味なら宣言なのに、どうして依頼と解釈されるのか。(まあ、これが前回までで考察した宣言ならこの話は無駄話ということになる。うん。なのでここでは「失礼します」が本当に依頼だった時の場合を扱うことにしようと思う。)この「失礼します」が発話される場面、コンテクストを思い出してみる。これは倉庫でのピッキング業務中に発されるもので、対象は同じくピックの作業をする老若男女。発話者がピックの指定になっている棚のある通路は同じく作業中の人がいて通れない・通りにくい状況となっている。この状況下で、そのおそらく初めましての人に対してかける「失礼します」というのはこれまでに扱った考えうる意図的意味と場面を考慮すれば、依頼であろうと解釈するというのはそこまで困難ではないように思う。加えて「失礼します」という表現はもはや何かを切り出す時の表現としてある種慣習的な立ち位置を示すのだから、これらを材料に「どいてくれ」という意味の依頼だ、と推論するというのも腑に落ちるような。と、言いたいところだけどそう言いくるめるためには「失礼します」が本当に慣習的で何かを切り出す表現なのかという裏付けをちゃんとしたい。hopefully 次のあいさつ表現としての「失礼します」で明らかにできたらと思うが、今回はまだ語用論編が続くのだ。次は発話態度の意味解釈だよん。
井上(2013)に従って発話態度をここでも「発話者が発話行為をどのような心的態度で行うかということ」とする。冗談を言う時、嘘をつく時、褒める時、皮肉を言う時、そのような発話の仕方を態度的意味として、ここには話しての意図的意味が顕著に含まれている、と言うのが井上の考えのようだ。ふむ、まして今回のような依頼をするときでは、それこそなんだろうな。
これについては井上のpaperを読んでいたら最近見たtiktokの動画から(まあ英語解説みたいなやつだったけど多分わかりやすいので)良い例を持ち出そうと思う。あ、でも2020-2021のどこかからtiktok-famousになったあのOlivia Rodrigoのgood 4 uがわかる人しかわからないか笑。あのー、good for you!っていう英語の表現は、普通、「来年就職先が決まったよ!」とか、「テストで一位だったんだ!」とかの時に「えーよかったじゃーん!!」という表現なのだよ。普通はね。けど、日本語でも「よかったね」が皮肉になるように、Olivia Rodrigoのgood 4 uもあれは皮肉で"good 4 u, you look happy and healthy,..."ってなってる。このとき伝達する意図的意味が態度的意味が違えば違うのに見て取れたように、態度的意味には意図的意味が顕著に含まれている。(あれ、ここまで書いて思ったけどこの曲持ち出さなくても日本語表現だけでできt..)
さてさて、back to 「失礼します」ね、これ、考えうる態度的意味は少なくとも二つはあるだろう。一つは高校生までの自分に思い出せる、あの職員室に入る時の「失礼します」、そしてもう一つはこれまで扱ってきた声をかけるような心的態度で発する「失礼します」である。前者の態度的意味に含まれる意図的意味はなんか個人的にはどう考えても宣言でしかないのだけども、如何だろう。だって小学校の時ほどそうだけど「失礼しまあああすっ!!」くらい大きな声で入るように指導されてたようなものだし。うんうん。それに比べたらやっぱりこれまで扱ってる「失礼します」の方はまあ落ち着いた職員室入室と考えられる場合を除けば依頼と捉えて間違いないように思う。こっちにはやっぱりこっちの態度的意味に含まれた意図的意味、って感じがするねぇ。
さて、ここまで語用論の観点で分析してきたが、ここでメインテーマであった「一番性悪なのは誰」の議論に移りたい。私がパターン分けしたのは以下の3つの人たちとなっている。
1)「失礼します」と声をかけるだけで相手がOKしてないのに勝手に通り抜けたり跨いだりしていく人
2)「失礼します」と言われても相手に配慮をせず微動だにしない人
3)通り抜けたそうな人が見えてても「失礼します」待ちの人
まず、1のパターンの人たちを今回の分野で議論してみよう。この場合、この人たちが性悪ではないと結論づけるためには、態度的意味があの職員室版「失礼します」の声かけ的な宣言であるというケースか、そうではなく「どいてほしい」という依頼の意図的意味で伝達が成功して聞き手が返事をせずに体を動かしたケースであろう。ただもしも「失礼します」が依頼だった、かつ、聞き手が動じない、という条件下で勝手に通り抜けたりしてるのならそれは相手の反応を無視する強行突破型としてここでは性悪認定となるであろう。
2のパターンは1のパターンの人に関連しているが、これらの人たちの言われても動かないことを擁護するためには、発話者が宣言としての「失礼します」を発した場合か、この人たちが発話者の依頼を断った場合である。多分。そう考えるとそのケースたちはあまり多くはないので、基本的には性悪な感じがしてくる。まあ、性悪の要素としては、提示された依頼の無視、ということになるだろうね。うん、それなりに性悪臭がするような、しないような。
はてさて、パターン3の人たちはこれまでの議論でも述べるように言語行動を伴っていない。なので正面から結論づけることはここでも叶わないだろう。我ながら、シリーズ開始の時点でこの言語行動を伴わない対象設定に疑問を抱いて訂正しなかったことがお恥ずかしい。
3は飛ばすとして、1と2のどちらの方が性悪かというのは、まあ性悪なんていうのは個人の主観に基づく判断なのでそもそも一般論にはできないが、個人的にはそもそもの部分を見るとパターン2が返事さえしてれば1も強行突破ではなかったかもしれないと考えると2によって1の性悪的行動が引き起こされるとも言えるので2が一番性悪なのではないか、とまとめたくなる。そうねぇ。
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