P.P.III

日々、考えたこと。映画、本、哲学、生活。

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最近の記事

動物園の哀しみ

夏。 暇にまかせて、人間ではないものと接触したくなって、動物園にいってみたり、水族館にいってみたり。 動物園の何が好きなのだろう?いや、好きではない。 ひどい悪臭だった。動物はおりの中で暑さにまいって寝ているか、餌を求めて客に寄ってきては餌がなくなると無関心になったりした。 動物園は悲しい。自由であるべき、生き物として平等であるべき動物が人間のエゴのためにおりに入れられ、鑑賞されている。水族館は、魚はまだ遠い存在なので許せる。それも人間にしかできない考え方だろう。哺乳類で

    • 桜の季節

      この季節になると、まるで生き急ぐ人のように、今日も桜を見なきゃと思ってしまう。 山桜を見ると。公園や川縁や家々の、そこらへん中に咲き誇る桜を見ると。 早く見ないと散ってしまう、今日も見ないともったいない・・・ ほとんど強迫観念のようだ。 ゆっくりと、なんとなくみて、そして、ああ、春だな、今年も咲いたな、ありがとう、などといって風流に楽しみたいのに。 これはいったいどういうことか? 突き詰めていくと、数年前に、実家の50歳くらいのソメイヨシノの大木を、枯れ葉が近所迷惑になっ

      • オッペンハイマー、または国家に利用された科学者

        まあ、しっかりと描いているのかな、と思う。政治に利用され翻弄される科学者たちを。 科学者というものは、科学それ自体の進歩のために実験を推進したい、つまり、自分たちの仮説が正しいかどうかに関する「真実(それを真実と呼ぶなら)」を追求したくなる性分だと思うが、その科学者の性と、戦争の相手国=「悪」を打ち負かすことができるかもしれないという幻想(これも、その実態は、ただ国家、政治家、軍事産業などの思惑に巻き込まれた国民の感情でしかない。なぜなら、戦争をする国のどちらかが「悪」で、

        • 帰属意識は戦争の源である

          ある集団への帰属意識。小さなものは家族、友人から、大きなものは国や地球、宇宙まで。この帰属意識が、戦争や諍いのほとんどの原因ではないだろうか?それが町や市や県などの地域社会にとどまっているかぎり、比較的問題も起きにくい。それが血を連想させる「民族」とか、同じ風土、言語、食べ物、感覚の中で生きる「国」のレベルになると、その集団への帰属意識は、排他的で愛族的、愛国的な色合いに、いつ何時変わるかもしれない危険性をはらんでくる。 ウクライナのロシアによる侵攻、イスラエルとパレスチナ

          「コンパートメントNo.6」が教えてくれた、大切なこと

          スマホがなかった90年代のロシアを舞台にしたフィンランドのユホ・クオスマネン監督の作品。「オリ・マキの人生で最も幸せな日」に続く2作目で、2021年のカンヌ映画祭グランプリを受賞した。ヒューマンドラマ、ラブロマンス、ロードムービー、どんなジャンルにも入れがたい、その時代の空気感や、人と人の心の交流をていねいに描写した宝石のような映画だ。 まずこの映画は、ただ何も考えずに見ていて、その世界に100%同化・没入できる、という映画というメディアの究極的な目的を達成している。列車と

          「コンパートメントNo.6」が教えてくれた、大切なこと

          「欲望の翼」ウォン・カーウァイxクリストファー・ドイルxレスリー・チャンの奇跡的な化学反応

          私がレスリー・チャンのファンだからだろうか?しかし、レスリー主演の映画は、数々の香港の駄作から代表作「さらば我が愛、覇王別姫」まで、ほとんど見ているけれども、「欲望の翼」ほど彼の艶めいた官能が引き出された映画はない。 それは、ウォン・カーウァイという映像作家によって捏造された60年代を背景にした妄想の世界と、それをまるで映像が生き物であるかのように甘美に具現化するクリストファー・ドイルという撮影の存在で成立している。そして絶頂期のレスリー・チャン(私生活はゲイという二重生活

          「欲望の翼」ウォン・カーウァイxクリストファー・ドイルxレスリー・チャンの奇跡的な化学反応

          「ことり」小川洋子

          なんとさびしくて美しい話だろうか? 主人公である「小鳥の小父さん」の一生が、あまりにも何も起こらない、起こらないままに、しかし、一つの人生がそこには確かに存在し、数十年の日常を生きて、ある日存在をやめた、その様子がしみわたるように伝わってきて、まるでそこに「小鳥の小父さん」という人物が小説ではなく実在して見聞きしたかのような読後感。これが優れた小説なのだろう。 ニューヨーカー誌のポッドキャストで、ある作家が別の作家の作品を朗読するというものがあるが、小川洋子という作家を、

          「ことり」小川洋子

          トム・クルーズ沼にどっぷりハマった夏・・・

          この夏、トム・クルーズ作品を1週間で7本観た。友人の言葉を借りると、「トムクルーズ沼にはまってしまったね」なわけである。彼女は「近づかないようにしてる」らしい。しかし、その警告は遅すぎた。あれよあれよという間に呑み込まれてしまったその沼には、しかし、どこまで行ってもトム・クルーズしかいなかった。 私がひねているせいか、昔からトム・クルーズ(以下、TC)の明るい笑顔が好きではなかった。アメリカを象徴するようなポジティブなエネルギーも苦手だった。 今でこそ、アドレナリン・ジャ

          トム・クルーズ沼にどっぷりハマった夏・・・

          立花隆 「思考の技術 エコロジー的発想のすすめ」

          ほぼ半世紀前に書かれた初版がほぼそのままに再版された、エコロジー的な視点で自然と人間の関係を捉えようとする本だ。 目からウロコが落ちる、腑に落ちる。頭がスッキリする。どんどんわかって、わかるということは気分がいいことだと教えてくれる。 知的な本とは、何か大事なことが本当に読者に伝わる本で、難しいことが学者仲間だけに伝わる本は閉じられた輪の中の学術書でしかない。 ここに、油の乗った若き立花隆氏一流の、読みやすい文章で的確な例を散りばめて書かれている生態学的な考えは、今でも

          立花隆 「思考の技術 エコロジー的発想のすすめ」

          ひと昔前は、どんなふうに感じ考えていたかというと、

          何が好きだったかというと、 仕事が途切れた瞬間に、どこかに旅し、何日か何週間かこもって、友人と騒いだり、議論したり、本を読んだり音楽を聞いたり、湖や川で泳いだり、カフェでぼおっとしたり、そしてとりとめのないことを書いたり、思索したりするのが好きだった。 そういう時間は、スリルと満足感をくれた。 その習慣は「インスタ」の出現で乱された。 朝、目覚めるとまずスマホを見てメッセージやニュースをチェックしたり、「インスタ」に飛んだりする(それはフェイスブックでもツイッターでもい

          ひと昔前は、どんなふうに感じ考えていたかというと、

          淡路島と沼島のひとり旅

          誕生日の翌日、淡路島と沼島をひとり旅する。 いろんな人に一期一会で出会う旅。 四国の鳴門から沼島へのフェリーが出ている土生まではバスの接続が悪いため、貸切タクシーにした。鳴門駅に迎えにきてくれていた運転手さんは淡路島の玉ねぎを中心とした農業のことにやたらと詳しい。 玉ねぎの収穫をしていると止まってくれて写真を撮らせてくれたりする。 鳴門の橋をわたり、玉ねぎスポットで玉ねぎカツラをかぶって観光客をし、それから沼島へと向かう。 いく道、淡路島の海に迫る山の自然の豊かさに感心

          淡路島と沼島のひとり旅

          個人的な文明の崩壊と再生

          母が認知症の果てに亡くなり、人間の文明とか文化っていったん何なんだろう、とここ1〜2年、思ってきた。 根本的に。根元的に。 勉強したり、仕事したり、お金を貯めたり、おいしい素敵な料理を食べたり、おしゃれしたり、インテリアを飾ったり、映画を作ったり、見たり。 外国語やピアノやお茶を習ったり、乗馬したり、SNSしたり、ヨガしたり。そういう一般市民的な日常だけでなく、政治や経済活動や戦争や、人間が行うすべての活動。 それらの活動は基本的にすべて、知的生命体である私たち人間が、何

          個人的な文明の崩壊と再生

          人は人の世話をする

          70前のアメリカ人の友人は言う、老後、誰にも面倒をかけたくない、と。 私は、日本人だからだろうか、面倒をかけ合うのも、また人間というもので、人生の最後に体が利かなくなり頭が呆けてきた時に、誰かの世話になることも、やはり人生をまっとうする一つの形だと思うのだ。 確かに他の動物はみんなひとりでひっそりと勝手に死んでいくかもしれないが、人間だけがお互いを気にかけ、世話をしたいという気持ちを持っている。人間の知力ゆえに、自分の最期をコントロールしたいと思うのもわかる、でも、知力ゆえ

          人は人の世話をする

          人生初の競馬

          あまりにも日常と変わらないGWの最終日、退屈から抜け出したくて、お隣の県、高知に競馬場があると知って人生初の競馬に行ってみた。 最初は馬が間近に走っているのを見たり、賭け方をインフォメーションのお姉さんに教えてもらったりして、アナウンスで流れる専門家のおすすめの馬に賭けて当たったら嬉しくなったり、と、とってもワクワクしたけれども、その興奮は、2〜3レース見ていると、だんだん違和感に変わっていった。 なんだろうか、出走前の馬とジョッキーがパドックでぐるぐる歩いてお披露目をす

          人生初の競馬

          ジョコビッチが好き

          私はジョコビッチが好きだ。正確に言うと、ジョコビッチ・ウォッチがおもしろい。 テニス選手として、少なくとも去年までの10年間は圧倒的に強かったし、世界No.1の最長記録更新、という絶対王者感だけではなく、一人の人間としての葛藤や脆さも見え隠れする、それがリアルタイムで進展していくのを見ていて、下手な映画や小説よりも本当におもしろいのだ。 例えば2021年8月、愛国心の塊のようなジョコは、絶対にオリンピックで勝ちたいという思いが強すぎて、結果、東京の暑さに負けてラケットを無

          ジョコビッチが好き

          マインドフル・イーティング

          先日の金曜の夜、ヨガティーチャーの友人が主催するマインドフル・イーティングなるものに参加してみた。 一言でいうと、食べている間は、食べることだけに意識を集中する黙食だ。 小さくて居心地のいい、そのオリエンタル・ビーガンのお店に行くと、ヨガとかビーガン食が好きそうな30代〜50代くらいの女性が数人集まっていた。 スターターは小さな小さな5つの色(赤、黄、青(緑)、白、黒)の食材を、つまり、きゅうりとか、山芋とかのミニ・サイコロ切りを、5つの調理法(生、煮る、焼く、蒸す、揚げる

          マインドフル・イーティング