「大丈夫だよ」が欲しい時に 「大丈夫だよ」と声を掛けてあげられる人になりたい ただ言うことは簡単かもしれないけど、説得力のある「大丈夫だよ」が言えたらいい あなたが言うなら大丈夫だ、みたいなそういう安心感を与えられる人になれたらいいよね それは日頃の佇まいから出る余裕であったり、モノの見方であったり、あるいは知識の量であったり、発する言葉(つまり日々の思考?)の重みだったりするのかな? 安心感ってなんだろう。 私にとっての安心は父親で、彼に言ってもらった大丈夫は本当に大丈
しかたのないことで怒ってはいけない、というのは私が常に思っていることのひとつなんだけど まあつまり、悪気がないことだね このことについて考える時に 悪気がなかった、だけで片づけすぎてもいけないな、とも思うの。 教養や見識の浅さゆえの悪気のなさ、であるシチュエーションも多分ある わかり易いたとえがでてこないけど、とにかく、教養大事ってコト。 精進精進っと
今日は特に何もなく終わった。 何について考えたかしら、 あ、お金について考えた気がする 23歳になって、年金の仕組みとか保険の仕組みとか、私何にも知らねーじゃんって思って、結構やばいんじゃないか?って思ったから お金について書いてある本をアマゾンで買った。 選挙が盛り上がってる 昼間の選挙カーが子育てについて説いてるその声で、やっと寝かしつけた子供が起きた、どうしてくれるんだ なんていうツイートを見た ちょうど夜に運転をしたから、じゃあ夜に選挙カーを走らせたら良いのかな
本日の一番心が動いた瞬間について。 なんとなしに見ていたTikTokで感動 自転車に乗っていたおじいちゃんが歩道で転んでいて、バイクのライダーが気がついて助ける動画。 声かける、119が必要であるかの判断、身分の証明できるもの、持病の有無、バイクのライダーは超冷静。私、涙。 おじいちゃんの近くには歩行者が二人くらいいた。 気がつかなかったのか、おかしな人と思ったのか、とても緊急の用事があったのか、あるいは勇気がなかったか。 私の知らないところで、今日はどんな心優しい瞬
久しぶりに大学の友人達と会った。 感想は、やっぱ友達って最強やん! 社会人になるとなかなか休日が合わなくて、みんなで集まれなくなった。 あの頃は毎日誰かしらと顔を合わせていたのに、不思議な感じ。 人との関係が薄れていく事で、大人を実感するなんて寂しすぎる。 私は本当に、救いようのない学生だったのでいろんな人にお世話になった。 みんな学生の時もしっかりしていて、社会人になってもやっぱりしっかりしていた。 もう会うことがないであろう同級生たちはいま、何をしているんだろう。
彼とはアプリで出会った お互いが、そういう目的だったから 初めて会った日と彼の家にお邪魔した日は同じ日だった。 それから月に1、2回会うような日々が半年くらい続いた。 彼とのセックスは悪くなかったし、なにより終わった後にベランダで一緒に吸うタバコが美味しかった。 私たちは結構いろんな話をした。 日々の出来事と考え事の話とか、家族の話とか、未来の話とか、夢の話とか、愛についてとか、神様の話とか、人生は何かとか。 友達のようで、恋人のようでもあるけど、付き合っていないというふわ
今日は同期兼親友と浅草のカフェに行った 浅草、蔵前らへんっておしゃれなカフェしかないから大好きよ 今度住むならその辺がいいな〜なんて 同期兼親友と盛り上がったのは、プライドは大事だけど高すぎてもダメっていう話と、うちら恋愛拗らせてない?って話と、今度は浅草で鰻を食べることにしようって話。 同期兼親友は初めて会った時から仲良くなる感じがしてたし、実際にそうなった 多分彼女も同じような確信があったはず、そういうのってわかるよね? とてもワクワクする直感、みたいなやつ これか
電話の保留音でかすぎないか?? 電話の保留音に対して、向こうさんの話し声小さすぎないか???
つまりさ、全てはタイミングなんだなって心から思う。 素敵だと思う人同士が出会い、その時たまたまお互い恋愛モードである場合にカップルが成立する。違うかな 前者のハードルは結構低かったりしない? だって素敵な人はたくさんいるんだもん。 一方で、 そのタイミングさえも関係なくなっちゃうくらい電撃的な出会いもあるのかもしれないとも。 私は彼にとって電撃的ではなかったんだな、ok。
この人だ、と思える人に出会えるのだろうか。 惚れっぽい私は、毎回、"この人だ"と思っちゃうのだけど、結局いつも違う。 それはそれは好きだった人のことも、時間が経てば忘れるし、同じくらいあるいはそれ以上に好きな人が現れるという経験しかしてこなかった。 だから、別れは辛いけどさして落ち込まなくなった。また別の素敵な人が現れるから。 別れの寂しさよりも、別れをしばらく引きずれない私の情のなさ、の方が心にくらうな。 いつからこんなに薄っぺらい人間になってしまったんだろう、と
今日は引越しの3日前でした。 初めての一人暮らしを始めてから半年で解約することになりました、とほほー それなりに楽しかったな、一人暮らし。 実家は妹と相部屋だったから、はじめて自分の部屋を持った感じ。 ちょっと癖のある好きな匂いのお香を焚けて、ラジオを大きい音で流せて、集中したい時にTikTokの音が聞こえてこなかった。 別にこの部屋で何かに集中して取り組んだかと言われると、多分してないけどね。 片付けをしていて1番面倒だったのは、ありとあらゆる場所に貼り付けた吸盤とかフ
大豆田とわ子と3人の元夫 というドラマを見終えた。 作中に出てくるカゴメに強く惹かれた。 自分が思ったように行動する彼女はすごく魅力的だった。 突拍子なさって、人を翻弄させると思う。 ひとは皆、生きていれば、何かしらの衝動に駆られるだろ。でもその衝動を客観視して押さえ込んだりするシーンがある。 例えば、お腹空いたな、歩きながらだけど、さっき買ったファミチキ食べちゃおうかな。でも、ちょっと人通り多いな、もうちょい路地に入ってから袋開けようかな、とか。 なんだかそれってつま
些細な瞬間に、ひとは大事な事を思い出す。 1年前、母親が亡くなった。 ある日、気分が良くてケーキ屋さんに寄った。 “よし、みんなに買って帰ろう” そう決めて、胸を躍らせながらショーケースを物色する私。 お父さんに1個、お兄ちゃんに1個、妹に1個、自分に1個。 「こちらの4つでお間違い無いですか?」 店員さんが私にそう聞いた時、どうしようもなく悲しかった。ああ、5個から4個に減っちゃったんだ。って思った。すごく寂しかった。 そんなつもりでケーキ屋さんに寄ったわけじゃ無
強さとはなんでしょう。 人知れずひたすら耐えている事も強さだし、あるいは誰かに頼る事もまた強さだと思うのです。 しかし それは人に頼ることのできない弱さでもあるし、はたまた耐え忍ぶことができない弱さでもある。 つまり、強さとは弱さは紙一重なんじゃないかな。と私はよく思うのです。 弱さを人に見せられることも強さだしね。 「彼女は強い人だから」 という言葉に私は少し引っかかってしまいます。 その言葉で片付けるには、彼女に失礼なのではないかとすら思うのです。 常に強く
“ないものねだり”の話をします。 私は不特定多数の人間と自然に仲良く接することができるし、自分のそういう所は気に入っています。 友達からも、 「あなたの近づきやすさは半端ないよ」と言ってもらったり。 おそらく天性のもので、これに助けられた事は何度もある。 だけど、特定の誰かに刺さる事が極めて少ない。 特に男女関係になった場合、 誰とでも仲良くできる子よりも、すこし話しかけるのが難しそうで、でも僕には心を開いてくれる子というポジションに憧れたりするのです。 だから私は