ばあちゃんの愛はトマトの形だった
わたしには、99歳のひいおばあちゃんがいた。
ばあちゃんはいつもにこにこしていて、
「仏のような」という言葉が実に似合う女性だった。
◇
じじばばのおうちの1階がばあちゃんの部屋で、
毎週遊びに行くたび、真っ先にばあちゃんのところへ挨拶に行った。
わたしが顔を出すと、ばあちゃんはよくお菓子をくれた。
甘くてかたい、おせんべい。
通っているお寺で貰うものだそうだ。
わたしはそのおせんべいが大好きだった。
そんなばあちゃんの部屋が第2のリビングになったのは、
私が小学生を終える頃だったと思う。
ばあちゃんは年末に国から100歳の賞状を受け取っていて、
いざ!大台の100歳へ!
と、思ったがしかし、ばあちゃんは3月生まれだった。
誕生日を待たずしてあの世へいってしまったのだ。
100歳という大台目前でこの世を去ったことに、
わたしはばあちゃんの謙虚さのようなものを感じた。
◇
お通夜では、ばあちゃんが通ったお寺のお坊さんが来てくれた。
ちらっと見えるお坊さんの目元が悲しそうだったのを覚えている。
そのお坊さんは法話の際、こんなことを言っていた。
「おばあさまはいつお会いしても、
太陽のような温かい笑顔を絶やさない方でございました」
ばあちゃんはお寺に熱心に通い、
お寺のお坊さん方や他の信仰者の方と仲良くしていたこと。
優しくて穏やかなばあちゃんは、
いつも感謝の気持ちを忘れず、周りの人を愛し、
そして周りの人達からとても愛されていたこと。
夏になると、瑞々しいトマトを買ってきて、
お坊さんたちに「いつもありがとうね」とお裾分けをしていたこと。
そんな話をしてくれた。
どの話も、しっかりとばあちゃんの姿が目に浮かぶ。
お坊さんはばあちゃんにこちらこそありがとう、と告げていた。
◇
トマトの花言葉は
「感謝」
だそうだ。
真っ赤な果実と、感謝。何だかわかる気がする。
そういえばじじの家に行くと
夏はやたらと立派な、おいしいトマトが並んでいた。
そうかあれは、ばあちゃんからの愛だったのか。
優しい形をした、真っ赤な愛。
ばあちゃんみたいな素敵な女性になるために
わたしは今日も、カゴにトマトを入れた。
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