「それくらい」ができない
メンタルがこう不安定になってからというものの、週に何度か、ちょっとしたことがトリガーになって不安や焦り、そして涙で溺れることがある。
たった今も、引越ししてから1ヶ月以上放置された駐車場の契約書を書いている途中で、保証人の実印が必要ということに気づいてしまい、そこから体が固まってしまった。
親に連絡をし、この書類を実家に送り、実印を押してもらい、送り返してもらい、再度契約先に送る─
実のところ、私は両親のことがあまり好きではないのです。不仲では全く無いし、愛されていることもわかっている。でもどうしても嫌なところばかり目について、どうにもダメなのです。
─たったそれだけ。ちょっと頑張ればいいだけ。でも「それ」ができないのです。息が苦しくなる。涙が零れる。どうにも動けなくなるのです。
それを見かねた同居人が、「じゃあ名義僕に変えて、保証人も僕の親に変えようか」そう提案してくれました。彼はすぐに契約先に電話をしようと動いてくれましたが、迷惑をかけているという実感を感じすぎてしまうので、電話中は耳を塞いだまま布団の中へ逃げ込む私。
そんな布団の中で、以前、適応障害の体験記を読み漁ってた時にこの記事を目にしたのを思い出しました。
初めて読んだ時は、自分とは違う、こういうタイプの人もいるんだなぁくらいだったんです。自分は色んなことに腰が重くなっただけで、何もできなくなったわけじゃない。と。でもいざ読み返すとどうでしょうか。
『うつ病になった後の僕は、クレジットカードの手続きすらできない、何もできない自分になってしまったんです。』
あぁ、まさに自分じゃないか。
怠惰で済まないレベルで、何もできない自分になっているじゃないか。
「そんなこと」もできない自分に絶望する。でもその反面、「そんなこと」もできなくなるのが適応障害やうつ病なんだと心に落ちて少し安堵もする。
こうやって少しずつ、できない自分も認めてあげられたらほんの少し息がしやすくなるのでしょう。
いつか呼吸の仕方を気にせずとも、息が吸える毎日になりますように。
△
最後まで読んでくださり、ありがとうございます! コメントもいつでもお待ちしております。