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【 エッセイ 】

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頭の中のふわふわしたものたち。
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#やさしさにふれて

ばあちゃんの愛はトマトの形だった

わたしには、99歳のひいおばあちゃんがいた。 ばあちゃんはいつもにこにこしていて、 「仏のような」という言葉が実に似合う女性だった。 ◇ じじばばのおうちの1階がばあちゃんの部屋で、 毎週遊びに行くたび、真っ先にばあちゃんのところへ挨拶に行った。 わたしが顔を出すと、ばあちゃんはよくお菓子をくれた。 甘くてかたい、おせんべい。 通っているお寺で貰うものだそうだ。 わたしはそのおせんべいが大好きだった。 そんなばあちゃんの部屋が第2のリビングになったのは、 私が小学生

死んでもいいわたしが生きてる理由

わたしは昔から、いつ死んでもいいと思っている。 これは自殺願望とは異なるものでありながら、どうやら人を心配させる言葉らしいというのは、高校生くらいの時に誰かとの会話で知った。 たとえばこの瞬間、明日自分の目が覚めないと知ったとして、「そんなのは嫌だ」と思わない。むしろ、さくっと人生終わらせられていいなぁとすら思う。 「もう彼に会えなくなっちゃうから嫌だ」 「あのバンドのライブに行けなくなるのは困る」 「新作のゲームプレイしてからじゃないと死ねない」 何かしら思うことが