見出し画像

呼吸をするように当たり前になる日を信じてみる

呼吸をするようにインプットとアウトプットを出来る人が一流、とシェフは言った。

そんな日が来るのだろうか。

今僕は毎日noteを書いている。AM8時にアップに向けてギリギリで書き上げる。1日の始まりに1000文字程度のコラム。書いていると徐々に頭が起きてくる。するとスムーズに書けるのだが調子が出てきた頃には、もう8時になる。

毎日ネタに溢れた日々で、見落とさなければ、見逃さなければ、書く内容に困ることはないはず。

しかし、日中にnoteのことを考える間もなく、気づいたら日付が変わっている日も多い。慌ててiPhoneのメモアプリを開いてヒントを探す。そこにタイトルのストックは書いてある。

時間をかけてしっかり練れば、書けるのはそれは当たり前で、いくらでも時間を掛けて良いのであればクオリティを上げていけるのは当たり前なわけで。

自分の得意領域でアウトプットの水準が高ければ、時間が生まれる。しかし、まだまだそうはいかない。
 
量をこなしていけば、自ずと経験値が増えて、フレーズの引き出しが増えて、もっと良い文章が書けるようになるだろうと思っていた。

しかし、ただこなしていけば、積み上がっていくのだろうか?そんな訳はない。作業になってしまえば、得られるインプットの量も質も落ちてしまう。

ちょうどそんなことを思っていた矢先に、シェフは僕にこう言った。

『もっと自分自身の文章を読み返して、自分の文章の違和感を見つけなきゃ。俺だって自分が作った料理をひたすら食べて経験値を溜めてきた。日々課題を見つけて改善していくのが大事。』

そうやって一つずつ気づくことでレベルが上がっていく。たしかに見直すと文章のつながりが悪かったり、助詞や係受けが変だったりする。もっと効果的な写真の使い方もあるかもしれない。自分のアウトプットは、自分好みだから違和感に気づき辛いかもしれない。違和感をどれだけたくさん見つけて、改善できるかが、重要である。

前だけ見つめれば良いのかと思っていた。

しかし、それは違った。その意識は量をこなすことがゴールになっている人であった。一流になりたいのであれば、呼吸のようにアウトプットが当たり前になる必要がある。

今は全力で走りながら、日々の振り返りを怠らないことが大事だ。

後ろを振り返らないと、どれだけ良い機会を落としているか、もはや気付けていないだろう。

当たり前のことだけど、やりっぱなしは良くない。自分の子どもとも言える作品たちをもっと愛して、見つめていけば自ずと良くなっていくのではないか。昨日は、そう気づけた日であった。

いいなと思ったら応援しよう!