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『調整』には、企画が詰まっている。
企画とは。
ある事をするため、計画を立てること。もくろみ。
そう書かれている。
僕は、2018年5〜10月に企画メシという講座に通っていた。
企画でメシを食っていく、略して 企画メシ。
電通のコピーライターである阿部広太郎さんが主催する連続講義だ。
企画力が身につけば、世の中がもっとハッピーになる。
企画力とは、どんな業界でも生き抜いていける普遍的な力。
そこで学んだのは、企画とは幸福に向かう意志、その矢印だということ。
企画とは、さまざまな形があって、大小ではない。
本当に様々な講師の方がいらっしゃって、同期がいた。
それぞれの企画を見る中で、大きなことばかり目を向けていた自分が恥ずかしくなったのを覚えている。目立つことがすべてではない。
人を幸せにする行為すべてが、企画なのである。
そう言えば、同期つまり受講生のことは、企画生と呼ばれた。
元々はふつうに受講生だった。
しかし、企画生と名付けされた瞬間に、グルーブ感が高まった。
言葉を企画すると、そこに意識が生まれ、呼吸を始めた。
‐‐‐‐
2021年8月。
僕はシズる株式会社で鳥羽さんのマネージャーを離れ、広報・ライターと営業として働いている。今はPCに向き合う業務が多くなった。そういえば、企画メシに通い始めたころも営業をしていた。
シズるの仕事は、料理人 ✕ 広告代理店だ。
広告代理店には料理人がいないので、普通は 広告代理店 + 料理人 。
掛け合わせるので最大化しやすい。そんな違いがある。
クライアントの与件を伺い、課題を紐解き、アイデアをもって企画し、解決策を提案していく。
そして、そのアイディアのど真ん中に『おいしさ』がある。
だから、僕らは食にまつわるクライアントとお仕事をする会社だ。
かつてのように、プロジェクトのスケジュールを管理し、電話やメール、LINEにメッセンジャー、TwitterやInstagramのDMで色々な人にお願いをしながら『調整』をしていくのが、僕の今の仕事。
そして、解決策を提案するためにはアイデアを考えなければならない。楽しくもあり、苦しくもある時間だ。会議は以前からあったが、見る側から参加する側になった。
とあるブレストでそれぞれが企画案を持ち込むことになった。
僕も持ち込み、久しぶりにみんなの前でプレゼンをする。オンラインのほうが気が楽で、意外といいかもしれないと思ったりもした。
すると、シズるの創業メンバーであり、博報堂ケトルのクリエイティブディレクターである皆川さんがニコニコしながらこう言った。
「オリちゃんのプレゼン初めて見るわ。新鮮だね。でも、企画でメシ食っていこうとしてたんだもんね。(企画メシ行ってたんだもんね)」
若干プレッシャーを感じながらも、プレゼンを終えた。
何とも言えない安堵感がある。
みんなの企画を聞く。
さて、会社の定例では、各メンバーが10分程度のライトニングトーク(つまりプレゼン、LTという)をしている。
シズるには、違う業界で働いている/働いてきたメンバーが多種多様にいるから、スキルをシェアしたり、お互いを知って、共通言語を作るのが目的だ。
料理人、クリエイティブディレクター、コピーライター、SNSコンサル、事業開発、起業・バイアウト経験者、人材、不動産、アプリ、通信、営業、ディレクター、若手、ベテラン、中堅。
ざっと上げるだけでも、様々なタグを持っている人たちが集まっている。
前回は、皆川さんがプレゼン術を大公開してくれた。
すごく勉強になった。やっぱり一流は自分の公式を持っていると感じた。
特に、「あのー、そのー、えーっと、は禁止」と言っていた。
今週は、僕だった。
「あの〜」と9回言っていたらしい。別の人が教えてくれた。
言葉が詰まらないように意識をしていたにもかからわらずだ。
ご丁寧なフィードバックに耳が痛いし、きっと赤い。
全く。
まぁ、でも。意識しなかったら20回位言ってたんじゃないかな。
そりゃすぐに変わるもんじゃないな、と思う。
その後の定例で、僕は別の議題を投げかけてブレストをした。
ところが、準備が足りておらず、唐突の議題になってしまった。
さっきLTをした自分を思い出した。
元々考えていた内容を変えてでも、ブレストに向けた共通言語をつくるためのLTにするべきではなかったか。
そうか。これも想像力で、愛で優しさだ。
みんなの時間を使う意識があったのであれば、軌道修正ができたのかもしれない。幸福に向かう意志、矢印が少しズレてしまっていたように思う。
営業は、調整が仕事だ。
一日の仕事を円滑に進めるためには、ムダな時間をなるべく使わないようにしなければならない。前後の時間や場所を考えることも『調整』だ。
言葉をそのまま伝えるのは、歪を生むから、翻訳して伝える必要がある。
この翻訳力も、人によってかなり差が出る。これも『調整』だ。
昨日のLTは、調整が足らなかった。
そうは言っても、時間は返ってこない。
だから、僕は書くことにした。
調整業ということは、想像力をどれだけ働かせることが出来るかであると改めて思った。
何気ないちょっとした配慮も、誰かへのちょっとしたプレゼントになる。受け取った人は少し楽になってたり、余計なことをしなくて済んでたりするだろう。相手のことを考えること、もっと相手のためにならないかと想像すること。
大げさかもしれないけれど、日々の調整にも幸福に向かう意志が含まれている。そんな気付きのある一日でした。