【日曜興奮更新】金
あけましておめでとう。ついに、新幹線の指定席に乗れる身分になった。真面目に働いていたら、そういう年を迎えた。
ゆうちょ銀行に並んでボーナスが入るのを楽しみに待つ。お先に金持ちになった東京の友達が2日で稼いでしまう金額が半年間待ちに待って私に振り込まれた。
暗証番号を爪で押して引き出して、みどりの窓口へ裸のお金を持っていく。
「もったいない」
そう思ってしまう自分がいた。この数万で綺麗な服を買えたかもしれない。ものたりない金額が残って、こんなせこい気持ちで華の東京から帰っていくなんて出来ない。
7駅先に水商売、女を売りにできるところがあった。
ちょうどダイエットに成功して、あとはこの結果をどうするかというところで迷っていた。すべてがちょうどいい。お金のためなんかじゃない。経験だと、誰にも相談せずに店のドアを叩いた。
「男を相手にしたことはあるのか?」
ママはそう言った。
「したことはないけど、好きではあります。」
「ここでは触られたりもする。それでも大丈夫なの?」
「避ける、とか。そういう選択肢も私にはあると思います。」
「避ける避けないの話じゃないのよ。」
「今日からお願いします。」
「話聞いてるの?お試しってことで、そこのドレス着て。」
ほぼ透けているドレスは、暗闇でライトが金色に光るこの場所で肌を綺麗に見せてくれる。他の女の子たちの顔がハッキリと魅惑的に見えるのは、化粧を濃くしているからだとオープンの時間になってから気づいた。ただの中央線のOLの普段メイクでは、寝起きみたいでおかしいのだ。
M∙A∙Cの1番赤い口紅を、7ヶ月働いているクリームちゃんという子に借りた。
焦ってぐりぐりに塗った私を見て、薬指でぼかしてくれた。
「ハッキリ塗っちゃうと昭和になるから。」
「そうなんですか。」
「暗闇では口元が1番目立つの。目なんか見てないよ。みんなバカになってるんだから。」
クリームちゃんと並んで選ばれるのを待つ。彼女は年下なのに、もう女の顔をしていた。手の爪なんかもギラギラで綺麗にしている。足の爪だけはありのままで、さっきの「そんなところ見てないよ」の言葉を思い出す。
彼女が奥の部屋に呼ばれた。足取りは軽やかで、一度こちらを振り返って手を口の前に持っていって上下にしてみせた。私は手をバッテンにして、首も振った。それで彼女は大きな前歯を見せて髪をかきあげて黒いカーテンの向こうに消えた。
ママが好きな昭和メドレーが店内には鳴っていて、プラスティックラブがノイズ混じりで聞こえる。
待ち時間、今日持って帰る給料を計算した。足が冷えるバックヤード。どんなに頑張っても折半、でも頑張らないと持ち帰れない、自分の中のガッツを確認していく。
「はい、呼ばれてるよ。」
まだ確認が終わってないのに、呼ばれる。右奥の2番の部屋に行く。
サラリーマンが正座していた。レッドブルとおしぼりを差し出して、横に座る。
「今日はお仕事帰りですか?」
「うん、君もでしょ。」
「え。」
「何度か見かけたことあるよ。駅前のビルで働いてるでしょう。◯×社のところの子でしょ。取引先だよ。」
「えー、あーー、なるほど。はい。」
「なんか気まずいよ、俺の方が。」
なんという引きである。誰も私のことを知らない街で、やったことのない商売を体験したいのに、向こうは勝手に知っていて、そんな人相手に女になれるわけがない。
「一回、手でも繋ぎましょうか。」
恐る恐るの提案は、意外と受け入れてもらえて、冷えた向こうの手がこちらと同じ体温になるまでの時を過ごした。
タイマーが鳴る。手の繋ぎ方のあらゆるパターンはやり尽くした。この手仕事は、次に繋がらない気がした。
「また来るね、とか言わない方がいいよね。ごめん、なんか。」
「手繋げて嬉しかったです。」
「ほんとかよ。」
「びっくりなんですが本当です。」
最後にサービスの谷間寄せポーズでお見送りをした。バックヤードに走った。思いっきり息を吸いたい。
クリームちゃんが海外から取り寄せた変なタバコを吸っている。
「おっつー。やった?」
「いや、手を繋いで終わりました。」
「手?」
両手をガシッと組んで、怖い顔で上下させた。
「こういうこと?」
「全然違います。」
「違うんかい。まーいいけど。あ、もう今、12月22日だよ。年末どーすんの。」
「実家に帰ります。」
「いいね。」
大きく伸びをして、バックヤードの窓を思いっきり開けた。
「こんなクソみたいなところ、年末で終わりにするんだー、わたし。」
はじめたばかりの自分の前で退職する先輩を見るといつも絶望してしまう。誰かが辞めようと思った場所に来てしまった、そういう考えになるのだ。
「おかげでアゴが鍛えられたわ。」
そんなに頑張ったのかとクリームちゃんの細い肩を見てると悲しくなってくる。
帰り道、おつかれさまの気持ちで自動販売機に向かった。彼女は財布の中の小銭を取ろうとしているが、100万は入っているであろう札束が邪魔でなかなか取れない。
「なんで銀行に入れないんですか?」
「え、だって銀行に入れたら必要なときにすぐ使えないじゃない。急に出さなきゃいけない場面を知らないの?」
「急に出さないといけない場面。」
「追われたことないの?」
「今のところないですね。」
「そっか、そうだよね。」
やっと取れた小銭を掴んで、笑いが止まらない彼女につられて笑ってしまった。
ガコンとデカビタの缶が落ちた。
思いっきり振って口の中に突っ込んで飲む女が前にいた。
「こうするとさ、なんか喉に直撃していい感じなんだよね。」
うまく反応ができないから私も真似した。むせて、履いてきたミニスカートにかかる。
「まだまだだね。」
体験で入った日に、頑張りすぎてしまった人を見て私は次の出勤を辞めた。
帰省、見栄を張って、東京のすごいところを親戚の前で言った。
「いつかすごい人になるんじゃないの。」
そうやって言われて、すごい人とは暗闇の中で顎を痛める仕事をしている人のことなの?とは聞けなかった。稼いだ金、使う場所は人それぞれで、札束を見るたびに彼女の一気に飲み干して笑った顔を思い出す。
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![稲田 万里](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/96379196/profile_7d0f568bdea073d540f6d7d3b757919b.png?width=600&crop=1:1,smart)