【日曜興奮更新】揺れ

地元の小さな駅で、おにぎりが3つ入ったビニール袋を渡された。湿っていた。

母は「東京に行っても、こちらのことを忘れないでね」と言う。

忘れるために行くのだ。切符は片道のみ。
しかし、そう思っていても縦長の窓ガラスの向こう側にいる彼女が左に消えていって田舎の景色に移り変わると涙が出るのはなぜだろう。

一駅で降りていく人について行きそうになる。私はまだ13駅も降りられない。シートに深く座って、おにぎりを食べよう。そして、ウォークマンに入ってる都会的な歌を探す。

東京にとりあえず行くとして、私は将来どうなっているだろう。神田にある専門学校。初めての一人暮らし。うまくやっていけるだろうか。


東京の人が書いている精神世界のブログが好きだ。開いて、見る。「神はここにいる。神は全てを見ている」と書かれている。たとえ家族の元から離れたとしても、神がいるならば安心だと思う。それにしてもこのブロガーは毎日毎日よくこんなに長文を書けるな。自分の体験を書いて全世界の人から見られて批判されるリスクがあるのに、本名まで出して。でもその腹のくくり方と、繰り返し唱えられる信仰心たっぷりの文章に私は長年救われているのだ。

代わりに書いてくれているのだ。馬鹿らしいけど助かっている。

ひとりきりで何かを行動してみるという体験をずっとしたいと思っていた。その日が思ったよりも早くやってきた。今日という日は、悲しいのに嬉しい。


汚いピンクの外壁が目立つ錦糸町の新居に着いた。内見せずに契約したので隣がラブホテルということを知らなかった。「フリータイム」と大きく看板に書かれている。自分は家に連れ込んだらラブホに行かなくていいからお得である。ラブホの前で男を待つミニスカで、やけに口紅が赤い女の子がぶつぶつ指を折って何かを言っている。今日の稼ぎは3万なんだろう。部屋の中に入ると茶色い虫の羽と足が落ちていた。怖くて触れないから大量のティッシュを被せて一度忘れよう。

大家のおじさんが下に住んでるので挨拶に行く。ご家族で住んでるらしい。

「はじめまして。今日からよろしくお願いします。」
「あ、君か。何かあったら言ってね。すぐに対応するよ。」

おじさんは会社を辞めた後にオーナーになったと教えてくれたのだが、その後ろで思春期の子どもがなにかを叫んでいた。かつて自分も出していたような叫びに記憶が蘇る。大家は会社には行かないでよくなったけど、家庭の問題は消えていない。その一瞬のシーンで、自分は子育てを今回の人生でしたくないという思いが強くなった。支え合うことなんか金を通してだけでいい。自分の親のように将来をひどく心配してあげたりとか、良い会社に行けるように先回りして教育させるとか迷惑でしかない。その結果が今の自分なんじゃないかと気づくと惨めで仕方ないから、また精神世界に逃げたくなる。


神はいいよな、押し付けない。人間だけが後付けで神の言葉を語り、そして見張るのだ。


自分の神だけがいて、それが東京にいることを許してくれている気がした。


「どうしたの、体調わるい?」
「いや、なんでもないです。」

一気に負の考えに浸ると顔の筋肉まで連動する癖を早く治さなければならない。

「新しい生活がたのしみです!」

深々とお辞儀をして、笑顔でその場を去った。



新しく始まった専門学校の入学式で隣になった男と、すぐに付き合った。彼は童貞でハグをすると「勃ちすぎて具合が悪くなってきた」と顔が青くなるのが可愛かった。私はというと、1年前に初体験を終えて反復練習を重ねてきたので余裕がある。

「そういう時はね、出せばいいんだよ。」

彼はこのアドバイスを忠実に実行していき、なんと3回目からは「俺は世界一うまい」と言うまでになった。本当は、きっと東日本で下から4番目くらいの実力だが好きだから許せてしまう。

「女ってのは、優しく抱くのがベストだよね。」

君の爪の長さと、こちらの股間から流れる薄い血の関連性が、いま無いことになった。「粘膜 強くする方法」と検索する時間が増えた。とにかく東京に来たばかりだし、誰にも文句なんか言いたくない。それでも時々、彼が寝てる間に鬼頭に爪を立てて痛めたくなった。実行しようとトランクスから鬼頭をぽろんと出すと性欲が勝った。痛みながらハメると、自分がいい女になった気分になる。

朝、起きてバイトの支度をする。私は朝も早くからサンドウィッチを作りに行くのだ。まだ半分寝ている彼が「バイト頑張るね」と言ってきた。

「学費、高いからやるしかないもん。」
「え。学費、自分で払ってんの?まじか。俺は親が出してくれてラッキーなんだよね。あと最近、おじいちゃんからの遺産で家族みんな100万ずつ貰ったんだよ。なんかラッキーだよね。」
「そっかー。」

100万円プラスになってる彼と、これからサンドウィッチを作って5千円稼ぎに行く自分を比較しないように努める。

「ねえ。学費、払ってあげようか?」

19歳の世界一セックスがうまい男がなにかハッピーなことを言ってくれている。

「いや、バカじゃん。」
「冗談だよ。さすがにね。あー、バイト頑張ってきてね。俺、まだ寝てる。鍵はポストに入れとくね。」

心の中に言葉を深く入れなければ、こういうことでいちいち傷つかない。人の言葉をずっと抱えておくと、それは次第に自分の言葉になってしまう。

髪を後ろにしばって、半蔵門線に乗り、学費の残りを計算して気合いを入れた。

また今日も怖い顔のおっさんとサンドウィッチを作りながら働くのだ。でも、それが東京生活入門というなら耐えられる。

今日も、精神世界のブロガーは記事を書いていた。変わらない彼の情熱と自分の信仰心は何があっても揺れ動くことはない気がする。もしそこが変わってしまったならば、私は全く違う人間になれたということでお祝いをしたい。そして、その頃には粘膜も強くなっていたい。






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稲田 万里
思いっきり次の執筆をたのしみます