親の命日に思うこと
バタバタしていたら記事作成からかなり時間が経ってしまったけれど、せっかく書いたので公開します。
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今年も父の命日が巡ってきました。
お墓は遠方にあるため1年に1度が限界ですが、今年も命日前にお墓参りに行くことができ安心しました。もう誰かが待っているわけじゃないのに、秋になるとそのまま年末を迎えられない気持ちになるのです。
そのため、命日当日はただ写真に向かって手を合わせお線香を薫き、あとは普段通りの1日でした。
穏やかに彼を偲ぶ時間を持てたことに感謝して迎えた夜。思いがけない方から連絡が入りました。メッセージの送り主は、かつて父が勤務した学校のPTA会長さんでした。
「今日は月が綺麗だから空を見上げていたら、先生のの命日だとしみじみ思い出してしまって。ご家族皆様変わりないですか?○○ちゃん(私の名前)元気にしてますか?」と綴られたチャットをみて、体の力が抜けました。
「お父さんは、素敵な方でしたね。おしゃれで、チャーミングで。何十年も亡き奥様を想っていらして。今頃奥様と、おしゃれして好きな歌でも歌いながら月見してらっしゃるのかしら。そうやってあなた(娘の私)を見守っていらっしゃるのでしょうね」と書かれたメッセージを見て、ぼろぼろ泣きました。
私は、父の最期に悔いがありました。
心配かけて苦労をさせた分、その時が来たら手厚く送り出したいと願っていました。間違っても1人で死なせるようなことはできないと思っていました。でもそれはかなわなかった。
父の去り方はとても彼らしいさっぱりきっぱりした旅立ち方でしたが、出来損ないの娘は納得できなかったのです。
彼が生きている間に何もできなかった悔しさや寂しさから、一緒に悲しんだり戦ったりしてくれない家族に腹を立てていたのかもしれません。納骨以来、法手続きも三回忌も1人でやったことが想像以上に辛く、寄り添ってくれる人が必要だったのかもしれません。