「赦す」こと
今日は、9ヶ月お世話になったコーチングプログラムのグループセッションの最終日でした。
大好きなコーチの伴走と、あたたかいチームメイトを通じていただいた大きな収穫は二つありました。
一つ目は「やり方さえ工夫すれば継続は案外簡単だ」という気づき。二つ目は、「赦すこと」。
そもそもこのプログラムに参加しようと決めた時、私は典型的な三日坊主でした。
初めは意気揚々と過剰に力を入れて頑張るし、そこそこ良い感じにスタートダッシュを切るのだけれど、息切れするのも早い。息切れして、中断しちゃう。中断すると、やめた自分に不信感を抱く。
ダメな螺旋の中に見事にハマって落ち続けていく自分を止めたかった。そのために、とにかく継続する力をつけたいと考えました。
そして、その更に深い部分にあったのが、「私は自分が大嫌い。呪いに近いほどの強烈な自己嫌悪」でした。
「自己愛」「自己肯定感」の類いが、自分事として考えられず、催眠術でも洗脳でも「何でも良いから自分自身を消し去りたい、上書きしたい」。
そう願っていました。
学習の間は、自分を激しく拒絶しながらも変えることのできない過去に目を凝らし、縺れてひっ絡まった自分の思考の癖に辟易し、もがく毎日でした。
必死になったり、惰性と妥協を承知でとりあえずやってます程度にタラタラしたり、いい加減これじゃダメだと必死になってみたり、コーチに甘えてひたすら長々話を聞いてもらったり、メンバーに弱音を吐いたり…もうとにかくひたすら自分の内側と向き合いました。
そのおかげで、気がついたら三日坊主はどこかに飛んで消えていました。また、「私最高‼️」とはまだ言えなくても、「まぁいいじゃん。変な奴上等じゃんか」と自分を赦せるようになったのです。「そもそもアンタ何がそんなに赦せないの?」と理由を掘り下げて徹底的に自分と向き合えるようにもなりました。
すると不思議なもので、今まで赦せなかったたくさんの人やらものが赦せるようになり、目の前に立ちはだかっていた巨大で分厚い壁が案外難攻不落でも堅固でもないことに気づけた。
そして、自分が嫌悪し呪っていた自分の価値観すらも、なんだか愛おしく思えるようになった。
これは凄まじい変化でした。
当たり前すぎて意識にのぼらない人生の普遍的ルール。
習得したいのにできないと思うなら、まず理想を思い描き、あらゆる失敗の可能性を捨て切って成功するのだと理屈抜きに信じる。
そして今できることからまずは始める。
思いがけない達成方法が降ってくることはあるけれど、ただ願望を抱くだけで願いが叶う魔法の杖はないと覚悟する。願望だけで実現するかも…と言う考えを捨てる。
私たちにできることは、信じて、行動して、ただ手放さずに継続することだけ。そしてそれをしながら天命を待つだけでいいのです。
あなたには、赦せないもの・人は存在しますか?
それが自分自身と繋がってはいませんか?
それを何とかしたいなら、誰かの手を借りることをお勧めします。特に私のように踠き苦しんだことのある方には、宝物のようなスキルだと感じます。
愛が深過ぎて書き出すとあれこれ湧き出すので、これから定期的にご紹介します。
#コーチングプログラム
#情けは人の為ならず