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3.11

※当日に書いた記事なのですが投稿したつもりが下書きに入っていることに今気づきました。以下、修正せずそのまま投稿します。

東日本大震災から12年が経ちました。犠牲となられた方々とご遺族の皆様に改めてお悔やみを申し上げます。また、被災された方々や、今も避難生活を余儀なくされている方々に対しまして、心からお見舞いを申し上げます。

今日は展示を開催中の岐阜県美術館にいまして、地震発生時刻の14時46分、学芸員さんとともに東北地方方面へ黙祷を捧げました。

それから、当時のことや私が亘理の人々や資料から見聞していた被災現地の状況、震災以前の町の様子、震災後の防波堤の建設についての話をしばらくしていました。岐阜のある東海地方では南海トラフ地震が心配されていますのでそんな話も。

震災から10年経った亘理を拠点として作品を作るということ。震災のことを切り離すことはできません。しかし自分は被災者ではありません。どんなに被災した町の人にヒアリングをしても、少しでも寄り添えることはできるとしても、その方達の苦しみや悲しみの深さを計り知ることはできないと思っています。だからと言って開き直るでもなく、私は自分の感性を大切に、作品を作っていこうと思うのです。

しかし3月11日の数日前になると毎年震災のニュースがメディアに溢れ出ます。そのような情報に触れた時、私は自分の作品が地域のためになるのだろうか、自問自答してしまうのです。そして同じプロジェクトのメンバーには被災した人たちもいます。その方達と自分では、温度差があるのではないかとまた自問自答してしまうのです。

なんだかとりとめのない投稿になってしまいました。
ではまた。

3月5日今年度の成果発表会の様子


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