地産な作品を作りたい
2021年が明けました。365日作品のことは考えているけれど、一応今日から仕事初めということにして、今考えていることを表明したい。
というのも、昨年は新型コロナウイルスの影響で不思議な一年で、できなかったことももちろんあったけれど、こんな状況だからこそできたこと、自分について発見できたことがあったから。口だけ人間になるのが嫌だから普段は言葉に出すということに抵抗を感じるけれど、今心に留めてあることを整えるためにも簡潔に言葉にしてみたい。
昨年コロナ禍で生まれた芸術祭「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」で発表した《力石咲のワイルドライフ》の存在やこの芸術祭で出会った人々との交流が大きく、芸術祭が終わった11月半ばから年末までの間、特に緊急の仕事もないので自分とじっくり向き合う時間を設けてみた。こんなに長い時間、本を読みまくったり自分の内面を根気よく掘り下げたことがあっただろうか。せっかちで生き急いでいる自分にしてはよくこんな時間を過ごすことができたなと思うけれど、それほど有意義な時間だった。自分は何が好きで何が得意で何に価値を感じるのか。それが明確になった。
《力石咲のワイルドライフ》はコロナ禍の中でこれからどう生活していくか、ひょっとしてこんなことが自分にはできるのではないか、ということをやってみた作品。もちろんこれまでの作品とは方向性が異なるが、これまでの作品はどちらかというと独りよがりだったように思う。自分の興味の赴くままに(もちろん生きていればその時々の社会状況や身の回りの空気感に知らず知らず影響されているとはいえ)好きに作品を作っていたから、コロナ禍という社会状況をテーマに据えた作品を作れたことは何か自分に自信を与えた。いや、この作品も独りよがりではあるかもしれないけれど、今を生きている全ての人に関係のある"同時代性"を作品にしたことで、現代アートが大好きな自分がこれからどういう作品を作っていくべきか、明確になった。
今ここに生きる人に、今ここを提示する作品を作りたい。"ここ"というのがミソで、これも《力石咲のワイルドライフ》で改めて発見した自分にとって大切なこと。この作品では現地の素材を使用し、現地の方々と協働し本当に楽しい制作の日々でそれが作品にも表れたのではないかと思う。もちろん芸術祭の運営体制がしっかりしていたことが大きいのはいうまでもなく、その体制下でこのようなスタイルの作品が作れたのだ。もともとその場でしか作れない作品に惹かれるし、人々とのコミュニケーションや多様な人々との作品の作っていきかたは難しくもあるけれど一期一会というのに弱い。限られた時間の中で、周囲に協力者や人の目があると120%の力が発揮できるようだ。今ここでしか作れないのだから、今頑張らないでいつ頑張る!という気持ちになる。展示が終われば作品は素材に戻り、記憶にしか残らない。そんな儚さも好きだ。そして私が今手段としている編み物は、ひも状のものであればどんな素材でも編むことができる。自分の身体とそれさえあれば。
いきなり雑にまとめるけれど要するに、思い描いているのはこんなイメージ。その土地の物を使ってその地に住む人々を巻き込んで、その地でしかできない作品を作る。どうやら性に合っているみたい。例えば美術館のような箱の中で展示をする場合でもその場所の特性を作品の内容とする。だから作品は毎回新作。その場その場がアトリエ。地産地消と言うには確信が持てないので(ビジネスとしては地消、要するに作品は全て消えてしまっては困り、残して売っていきたい。売れるかどうかはまた別の話だけれど。)敢えてこのnoteのタイトルも"地産"にとどめておく。ただ、余談だが、作品を残すといっても、永久に作られた当初の状態をとどめておくような残し方には今現在興味がない。時は無常なものだから。
地産な作品を作ることは(なおかつ残した作品が売れてくれれば!)物を持たない生き方にも繋がるのではないかと思っている。今私は1トン以上の毛糸を所有していて、そのために倉庫も借りている。もちろん編み物の特性上、何度でも使用できるから保管しているわけだし、作品ごとに購入しているわけではない。が、やはり作品のコンセプト的にどうしても在庫の毛糸ではダメな場合もあるわけで...。何よりこれまで、いつも望み通りの綺麗な色に糸を染めてくださっている阪南チーズ染晒協同組合さんには大変感謝している。でも倉庫に行って大量の毛糸を見ていると複雑な気持ちになるのも正直なところで。環境問題にも少なからず関心はあるし(一長一短で何が正解かまだ分からない)、いつか自分は死ぬわけでその時この毛糸をこのまま残しておいてはダメだという気持ち、そしてこのままだと倉庫代が永遠にかかるのも現実問題なわけで...。いつか役目を終えた毛糸たちを一つの大きな大きな作品にしたい、というのも漠然とだけれど考えている。
目下コロナ禍中で、理想を行動に移すことがなかなか容易ではないけれど、時が来たら行動する。コロナ禍でなくてもなかなか難しい道のりであるし自分の考えも変わっていくかもしれないけれど、その時はその時。自分に正直でありたい。
最後に、自分を掘り下げる日々に読んだ本や鑑賞した展示で印象に残っている思考を記しておきたい。鴻池朋子さんの本『ハンターギャザラー』で知った、鴻池さんの場所から入る作品制作の思考。何を描くのかではなく、何に描くのか、という思考。そして東京都現代美術館で開催中の石岡瑛子展での石岡さんの言葉"地球のすべてが私にとってのアトリエ 地球のすべてが私にとっての素材"