名所絵葉書のような
近頃自分の作品と日本人の美意識の接点についてリサーチしている。主に禅、わびさび、日本人の美意識に関する本を読んでいるのだが、高階秀爾『日本人にとって美しさとは何か』(2015,筑摩書房)が難解でなく面白い。著者が過去に行なった講演の記録や雑誌に掲載された記事、論文を集めた書籍。
中でもなるほど!感があったのが『名所絵葉書』『実体の美と状況の美』という論説。西欧と日本人の美意識の違いを実体の美と状況の美という言葉に当てはめ、一例として名所絵葉書について言及している。観光名所に行くと土産屋に名所を写した絵葉書が売っているが、西欧のそれに写っているのは建築物単体であったりその建築物に施された彫刻などのクローズアップ写真。対して日本の名所絵葉書は、建築物単体ではなく周囲の風景や季節感とともに写っている。たとえば雪景色の金閣寺とか満開の桜の奥にお城など。西欧の美意識が西欧の建築物に見られるシンメトリーなどのある規則に則ったものの上にあることや、建築物が時の流れを超越して永遠に存在するために石などの堅牢な素材で作られることからわかるように西欧では建築物という実体単体が美しく威厳がある。一方日本人の美意識は、建築物を美しいと感じる時、それは季節や時間の流れといった自然の営みとセットであり、その違いを、西欧の美は実体の美であり日本の美は状況の美と高階さんは言っている。
これは自分的にはとても共感できる。先の京都でのフィールドワークで3Dスキャンする素材を、まちなかにある物単体を採取するよりも風景の断片を採取したいという気持ちに駆られたことや、作品スタイルにしても絵画や彫刻それ単体よりも展示される空間をも含めたインスタレーションという分野に惹かれる。その場所性に今は時間という要素も取り入れたいとも思っている。
ここで、ある場所を自分の作品展示の場所にする時、自分の施す作品とは、日本の名所絵葉書でいう建築物とそれを取り巻く自然のどちらなのだろうと考えてしまう。場所というそこに存在するある意味自然なぶぶんに自分が人工的に介入していくから、場所が自然で自分の作品が建築物なのか。介入していく...まだまだ自分が主体だ。いや、私は今この瞬間のその場所の魅力を引き出せるような作品を作りたい。畏れ多くも、建築物の魅力を際立たせるような自然のような存在になりたい。変容していく作品は、写真として残せる。名所絵葉書の一枚になるような、そんな作品を作りたいとも思うと同時に、これからは各地に行く際には名所絵葉書を買って収集してみようと思う。