その人らしい「生」と「死」を支援すること
「こちらの施設の特徴は何でしょうか?」
施設の入所申し込みに来られたWさんから言われた言葉でした。
以外に思われるかもしれませんが、このような質問をされるのは入所申込みされる方の中でも少数です。
理由としては、入所を希望されるご家族に余裕がないことだと思います。
日々の介護で心身ともに疲労して余裕がないこと。
グループホームなどに入居しておられるものの、高額な入所費用のため金銭的に余裕がないこと。
そして、入院先や入所先から退院・退所を迫られていること。
このような状況であれば、変な言い方ですが「入所させてもらえるだけでありがたい」と思われる方も珍しくありません。
Wさんのような質問をされるということは、
「どこでも良いとは思ってません。しっかり選びます」
という意思表示だと思います。
※実際に、うちの施設見学・申込みの後、別の施設に見学に行かれました。
僕はうれしくなり、
特養の入所者さんは要介護4か5の方がほとんどなので、皆さん一緒にレクレーションをしたり、外出することは難しいこと。
そのため、私達は『その方にとっての楽しみ』を考えていること。
その例として、入所前に、自宅の庭で花を育てていた方の中には、テラスでプランターに毎朝職員と水をあげる方もいること。
季節やご本人の体調にもよりますが、ご家族の方と思い出のある場所やお店に行くことができればと思っていること。
こんな会話を交わした後、Wさんは
「入所申込みをさせてもらいます」
と申込書に記入され、帰られました。
それから数ヶ月後、入所の順番が近づいたためWさんに電話しました。
Wさんのお母さんは、独居で在宅サービスの利用も多かったため、入所の優先順位が高かったのです。
電話に出られたWさんは、
「実は、母は現在入院していまして…。
誤嚥性肺炎と診断され、食事もできておらず、点滴を受けている状況です。
このような状況でそちらに入所させていただくわけには…」
と話されました。
この時点では、僕はあくまで一般的に…という話で、
うちの施設には、最期を自然に迎えたいと希望され、点滴をはずしてから入所される方もおられることを伝えました。
「もしよければ、詳しく話を聞かせていただけますか?」
数日後、再び来所されたWさんに、施設で行っている「看取り」「自然死」について伝えました。
僕の説明の後、少しの沈黙があり、
Wさんが言われたのは、
「自然死をさせてもらえるところを探していたんです」
という言葉でした。
「両親はどちらも、『延命はしなくていい』と話していたんです。
ところが、父親は入院をきっかけに食べられなくなり、主治医から言われるがままに、点滴となりました。
あの時は、そうする以外になかったと思っているのですが…
それから数ヶ月、父親は点滴で生かされた後に亡くなりました。
決して父親が望む最期ではなかったと思います。
…。
だから、せめて母親には…と思ってます」
特別養護老人ホームは、看取りの場でもあります。
ただ、最初から看取りを目的として入所される方は、1年に1人くらいでしょうか。
Wさんの思いを聴かせてもらい、僕も介護職員さん、看護師さんたちも
「入所してもらいましょう」
と意見が一致しました。
唯一、気になったこと。
それは、ほぼすべての栄養・水分となっている点滴をはずすということは、ご本人の体力にもよりますが、早ければ1週間くらいで亡くなられる可能性もあること。
母親の願いだったとはいえ、自分の決断で確実に命が短くなるのです。
その決断に後悔はないのだろうか?
入所日に付き添われたWさんに聴いてみました。
Wさんは、ほとんど表情を変えず、
「私の中では、母親はもう死んだと思ってます。
数年前から認知症になった母親は、父親への嫉妬妄想がひどく、私がどう言っても変わりませんでした。
一緒に暮らしていた父親の悔しさ、もどかしさは相当なものだったと思います。
私の知っている母親は、その時からもういないんです」
と、淡々と話してくださった後、
Wさんは少し笑って言いました。
「父親には、お墓の前で報告しましたから」
入所されたWさんの母親は、約2週間うちの特養で過ごされた後、苦しむことなく、眠るように亡くなられました。
約2週間のうち、しっかり目が覚めているときはゼリーを少しずつ食べられ…。
声をかければ、顔を向けられ…。
介護職員が、耳元で「おはようございます!」
と挨拶した後に、
「…うるさい…」
と言われたのが、施設での唯一の言葉となりました…😅
通夜・葬儀を終えて、施設にWさんが挨拶に来られました。
「あの時、電話をいただいたのが運命だったのだと思います」
という言葉を僕に言われました。
「その人らしく」「住み慣れた地域で」
地域包括ケアという言葉が広がるにつれて、聞く機会が増えてきた言葉です。
僕も地域包括支援センターに勤務していた頃、何度この言葉を使ったことでしょう。
ただ、その頃の僕は「その人らしく」「住み慣れた地域で」生きてもらうことしか考えていませんでした。
特養に異動になり、入所者さんが亡くなられるたび、死は特別なことではなく、日常の中にあるものと感じています。
生の先には、誰でも死がある。
「その人らしく生きる支援」
そして、
「その人らしい死を迎える支援」
までも専門職として考えていく。
「縁起でもない」と避けるのではなく、
「どんな最期を迎えたい?」
と家族や専門職と話し合える文化が生まれれば。
そして、選択した「その人らしい最期」を尊重し、偏見を持ったり非難するのではなく、受け入れてもらいたい。
そんなことを思ったWさんとの出会いでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。