エンゲージメントから見る日本人の考える仕事の報酬
先日ギャラップ社から届いたニュースレターのタイトルに、こんなのがあった。
過去にこういうレポートは読んだことないが、自身の過去の職場のエンゲージメントを想像しても高いとは言い難く、すぐに目を引いた。
会社や職場で言うエンゲージメントとは
日本語で言うエンゲージメントにはたくさんの解釈があるが、ギャラップ社から定義が無かったので、ここで私は以下のように解釈する。
つまり、これが低いと言うことは相対的に社員は会社でのモチベーションは低いか、「会社は労働力の対価としてお金をいただく所」と割り切っている社員が多いと言う解釈ができる。
会社がよく我慢する所と揶揄されたり、社員はストレスをためながら週末のが待ちどうしいと思っているのも不思議じゃない。
各国のエンゲージメント率から見る現状
このギャラップのレポートでは、
上記の様に指摘されており、相対的に見ても日本のエンゲージメント率が非常に低いのはわかる。
実際、私は過去に欧米諸国に本社がある所謂外資系企業にいくつか務めたことがるが、圧倒的に日本人のやる気のなさ、モチベーションの低さ、業務に対する責任感やコミットメントの低さがが際立った印象がある。
他の国との会議なんかでは特に、日本人は「発言しない」「意思を示さない」と認識されており、結局は興味がないのかと外国人からは解釈されてしまうことがある。
この背景には、年功序列を経済界の主体とした採用形態が未だ世の中の通念となっているのが原因じゃないかと思う。結局は「転職=悪」で、「石の上にも三年」は美徳として受け入れられているのが現状。現状に納得できない日本人がダラダラ働き続けるのはこれが原因だ。人口に対する若年層の割合が少ないこともあり、相対的に高度経済成長を経験した年配の意見がマジョリティとるため、年功序列が美と捉えられるのは当然と言えば当然だ。
解釈で変わる仕事の報酬
今更、人口ピラミッドが原因だとか物理的な事を指摘するつもりはないが、労働参加者は会社で働く目的や意義を自身で解釈することはいくらでもできる。
サピエンス全史の筆者が指摘した「虚構を信じる能力」は我々ホモサピエンスの特権であり、「目に見えない仕事の報酬」を対価として仕事の意義を見出すことも重要だ。
それは、仲間や客と時間を共有する喜びであったり、自身の成長なのかもしれない。仕事で作り出した成果物やサービスも全て社会にとって何だかの意義のある物となる。
職場で我慢したことの対価を「給与」や「役職」「特権」で解釈するのが通念化しているが、これでは一生満たされない。上には上がいるし、ジェフベゾスになんて一生勝てない。死ぬまであなたは負け犬だ。
以上、今日は胸が熱くなったのでだいぶ書いてしまった。
社会みんなが仕事の意義を見出せると嬉しい。