渋谷駅のホーム切り替え工事が終わった。 山手線外回りのホーム中心に記録しておく。 再開発が続く、東横店跡も記録。(2023/1/14)
高輪築堤 日本初の鉄道が新橋・横浜間で開通したのが1872年。 その2年前にあたる1870年に高輪築堤の工事が始まった。全線29kmのうち1/3にあたる約10kmは海上線路となった。田町〜品川間でも兵部省用地などを避けるため海上に築堤された。 内陸側にも船が入り込む水路が残される形で構築された高輪築堤は 2019年に周辺の再開発を機に発見された。 再開発に伴い姿を消しつつある通称オバケトンネル。 高輪橋架道橋にも立ち寄った。 かつての品川車両基地エリア。再開発は続く
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関東の駅100選 #田園調布駅 大正7年 #渋沢栄一 らにより当時イギリスで提唱された田園都市構想をモデルに進められた住宅開発。大正12年目黒蒲田電鉄の開通と同時に開業した歴史ある駅舎も復元されている。
2021年4月道路拡張工事に伴い撤去予定となっていた桃園橋に向かった。既に暗渠道は工事中で撤去作業に向けて工事が進められていた。 1936年(昭和11年)に建造されて約85年。暗渠となった後も往時の風景を残してきた。 道路拡張工事に伴い撤去となるが、その先には桃園川の流れが残っている。
三田用水現役時代の橋跡が白金台付近に残っている。 その先には三田用水現役時代の区画をそのままに残した駐車場や戸建て住宅も。そして往時を偲ぶ紹介も。
〜煉瓦の擁壁〜 港区白金4丁目付近。かつて悪水溜があった付近は特徴的な窪地地形となっている。付近には明治期に造られたかと推測される赤煉瓦の擁壁が残っている。 かつて伝染病研究所であった現在の東大医科学研究所の方向に流れは続いている。
1930年(昭和5年)の開業当時から残る駅舎には第二次世界大戦時の銃弾跡も残る。 今から90年前、第二次世界大戦より10年近くも前に作られた駅舎が未だ現役。 生きた近代産業遺産。 国道駅の先、終点の海芝浦駅はホーム下が海。 改札から工場に直結しているの為、関係者しか下車できない。 海風が気持ちいい。 気まぐれにぶらり 以上。
内陸側の運河と東京湾側の海を繋ぐ水路の名残。 埋め立てられて道路となったものの距離が長く、海抜も低く排水も大変な為、 桁下制限は高さ1.5メートルまでに。 気まぐれにぶらり 以上。
晴海線は平成元年となる1989年に廃線。 山下臨港線プロムナードの様に再開発での活用も意識され、跡を残している。 かつての晴海埠頭は東京オリンピック選手村、そして三井不動産によるHARUMI FLAGとしての再開発が進んでいる。 気まぐれにぶらり 以上。
〜南禅寺付近の水路閣〜 西欧技術が導入されて間もない明治18年に起工され、明治23年に竣工。日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上貴重。平成8年には近代化遺産として国の史跡にも登録されている。 〜哲学の道〜 南禅寺の水路閣付近から慈照寺(銀閣寺)付近までの琵琶湖疏水分水路に沿った散策路。 京都大学の哲学者で善の探究をした西田幾多郎が好んで散策をした 気まぐれにぶらり 以上。