Vaporwaveの終わりについて~1.Vaporwave小史~
前書き
COVID-19流行によって、「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方が容易い」というテーゼの誤謬が露呈した。少し消費活動が麻痺するだけで、資本主義のシステムは揺らぐ。そこには以前のような絶対性は存在しない。そして、その絶対性に立脚していたVaporwaveもまた、である。
もはや以前のようにVaporwaveが受容されることはないだろう。Vaporwaveはついに「死ぬ」運命にある。そこで、Vaporwaveに引導を渡し、その思想を受け継ぐために、「Vaporwaveは一体なんだったのか」を考える必要があるように感じた。その一歩として、自分が書いた「Vaporwaveの文化社会学的考察」を、一部修正・加筆して公開する。
本論考は”Vaporwave"についての文化社会学的考察である。現代思想2019年5月増刊号「現代思想47のキーワード」で取り上げられたほか、ユリイカで特集が組まれるなど、Vaporwaveはそのブームが過ぎ去っているにも関わらず、現代文化を論じる上で無視できない存在になっているのは確かである。
美学、表象文化研究の文脈においては多少先行研究があるものの、文化社会学の文脈においてVaporwaveが検討されることは今までなかった。
今まで文化社会学の研究対象にならなかった原因に、そもそも”実際に”シーンに関わった人間が少ないというものがある。Vaporwaveはバズワードとして認知はされていたものの、実際にシーンに関わる人間が増えたのは2015年以降である。指標として図1ではGoogleの検索回数を提示しているが、これはBandcampにおけるVaporwaveタグの登録数も同じような推移を見せている。
<図1>
また、プロデューサーたちによる1次資料が少ないことも理由として挙げられる。今やウェブメディアに取り上げられることも増え、多くのVaporwaveプロデューサーがインタビューに答えているが、過去、Vaporwaveのプロデューサーの多くは素性を隠して活動していた。その上変名での活動も多かったためどの名義が誰の活動なのかを判別することが困難であった。以上の理由から、Vaporwaveにおける「大きな物語」の画定が困難であったために、表象の分析にとどまり、社会学の研究対象にならなかった。2019年、Vaporwave人口は爆発的に増え、初期のムーブメントに関わっていたプロデューサーを中心に、多少は資料も増えたものの、また別種の問題に突き当たる。それはジャンルが肥大化し過ぎて、リスナーの聴取モデルが画定できないというものである。これにより、Vaporwave分析のアプローチを変える必要が出てきた。つまり、初期に関しては近年出てきた資料から、Vaporwaveの成立における影響関係の分析を。情報が少なくなる中期に関してはwebの記事をもとに「どう聴かれたか」「どう語られたか」の分析を。そしてVaporwave実践が広がり、一つの集団を形成するようになった後期からはプラットフォームの分析を。というようにである。
本論考は三部構成になっており、「1.Vaporwave小史」「 2.Vaporwaveのコードはどのように形成されたか」「 3.Vaporwave is deadとはいかなる状態か」というサブタイトルをつけている。まず第1章「Vaporwave小史」においては、Vaporwaveの発生、流行、派生を、時系列順にターニングポイントとなった作品を追いながら確認する。ここでは表現技法の背景の詳細な解説はせず、「その時代のコードはどのようなものか」そして「それがいかに変化していったか」のみに注目して追っていく。そして第2章「Vaporwaveのコードはいかにして形成されたか」では、そのコードの背景に合った思想や、音楽的影響をまとめる。そして第3章「Vaporwave is deadはいかなる状態か」では、「Vaporwave is dead」という現象に着目して、そのコードがいかに変化したかを探る。
肥大化してしまったVaporwaveという霧散した蒸気を、小さなテーゼをいくつも並列させることで輪郭だけでも見えるようにするというのも、本論文の目指すところである。そのため、上記のような大きな流れはありつつも、なぜその表現に至ったか、どのようなムーブメントと類似性があるか、それについてどのように語られているかなど、本筋から逸れる話題が差し込まれることもあるが、それもVaporwaveを少しでも正確に描き出すためである。
1.Vaporwave小史
この章ではVaporwaveが辿った道を振り返ることで、VaporwaveをVaporwaveたらしめるもの=コードが何であったのか、そして現在の認識はどうなっているのかを確認する。 Vaporwaveとはいったい何なのであるか。ひとまず、2010年代初頭に発生した音楽ジャンル、またそれに付随する美術であると言える。むしろ、今現在Vaporwaveに関して不足がないように説明しようとすると、こうとしか言えないのである。これはVaporwaveが作品数を増やしていく中で、弁証法的、あるいは漸進的「ジャンルの更新」ではなく、「ジャンルの拡張」が起きているためである。つまり、従来のようにメインストリームの流れがあり、そのコードに則りつつも変化をつけた作品を出すことで前の作品を陳腐化させることを繰り返すのではなく、過去の作品と新しい作品が等価に扱われ、元のコードを失うことなく新たなコードを持った「サブジャンル」が立ち現れ、さらにそのサブジャンルが分裂し、合流し、Vaporwaveを形作るのである。Vaporwaveというジャンルのルーツである”Eccojams” “Utopian Virtual”をはじめ、”Mallsoft””Vaportrap” “Future Funk”、さらには“Pizzawave” “Sharkwave”といったふざけ半分で作られたサブジャンルや、全く関係ない「シンプソンズ」のアニメーションにVaporwaveの曲をのせた”SIMPSON WAVE”のようなジャンルまで誕生している。Vaporwaveに特異なのは、そういったサブジャンルが必ずしも周縁的なものではないということだ。例えば例に出した”Future Funk”は、日本において”Vaporwave”よりもGoogleにおける注目度が高い時があるほど人気が拮抗している。
<図2>
さらに先ほど「あまり真面目でない」例として取り上げた”SIMPSON WAVE”は、 YouTubeの「Vaporwave」動画の中で、再生回数上位3~5番までを占めており、もはや ジャンルの顔となっている。なぜここまでジャンルとしての輪郭がぼやけているのだろうか。その背後には「実践先 行の音楽ジャンル」「タグ付けによるジャンル拡張」がある。 それでは、Vaporwaveの直線的歴史を語ることは不可能だろうか。確かに、Vaporwaveのすべての現象を追うことは不可能である。しかし、Vaporwaveのコードに影響を与えた作品を追うことで、Vaporwaveがいかに生まれ、変容したかを描き出すこと は可能である。ここでは、『Eccojams』『Far side virtual』で生まれた音楽ムーブメントが、 Vektroid、INTERNET CLUBという2大オリジネイターによって確立し、 ”Vaportrap”、”Future Funk”などによるジャンル拡張を経てフォロワーを獲得、そして『新しい日の誕生』をはじめとする”Post-Vaporwave”に繋がるという一連の流れを「多くの作品に影響を与えた」メインの流れとして、Vaporwave史の概略を確認したい。
1-1初期Vaporwave
本論文ではVaporwaveの出発点を『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』(以下 『Eccojams』)とする。このアルバムはブルックリンを拠点に活動するOneohtrix Point NeverことDaniel Lopatin(以下OPN)がChack person名義(本論文中ではChuck Person名 義も含めてOPNと表記する)で2010年の8月に発表したアルバムである。このアルバムが世に出た頃はVaporwaveという言葉は生まれていなかったが、すでに80~90年代ポップス のチョップアンドスクリュー(サンプリングした音源にカットアップと遅回しという加工 を施すこと)でできていることなど、Vaporwaveの特徴を揃えていた。『Eccojams』の中 で産業ポップスは遅回しされ、ヴォーカルはまるでゾンビの呻きのようになり、それが カットアップにより明らかに異形な、恐怖をさせる覚えさせる音楽と化している。 この作品は単にこの行為はプランダーフォニックス、シミュレーショニズム、アプロプ リエーションの系譜に属する反資本主義運動であると軽率に結論づけられるものではない。なぜなら「深夜のテレビをザッピングした時の体験をシミュレートする」「ポピュラーミュージックの聴きたいところだけをループさせて延々と聴き続ける」*2といった、 むしろ大量消費そのものやポップミュージックに対するある種のフェティシズムからスタートしている行為だという、単純にPlunder Phonicsの要素を取り入れた大量消費社会 批判というだけでは言い表せないアンビバレントさが根底にあるからである。このアンビバレントさは、多くのVaporwaveに通じている大きな特徴である。また、OPNは 『Eccojams』で行った実践について、
と語っている。ここで着目したいのは、『Eccojams』が「音楽」や「体験」では なく、「実践」として作られていることだ。このOPNの姿勢、つまり「実践」としての 『Eccojam』は、のちにVaporwaveというフォロワーを生み出し、実現された。その点でも『Eccojams』をVaporwaveの出発点と位置付けたい。
2011年、ジェームズフェラーロが『Far Side Virtual』をリリースする。この作品も、 Vaporwaveの始祖とされる作品の一つである(当時は”post lo-fi””post-retro”と呼ばれるムー ブメントの一つとみなされていたが、今では”Utopian Virtual”というVaporwaveのサブジャンルに分類されることが多い)。『Eccojams』は先述のとおり、「深夜にテレビをザッピングすることのシミュレート」であったが、この作品がシュミレートしているのは、無人のスーパーマーケット、ショッピングモールのミューザック(ラウンジミュージック、エレベーターミュージックとも呼ばれるBGM。BGM産業の代表企業、ミューザック・コー ポレーションから。)である。フェラーロ自身はVaporwaveジャンルに括られることを快く思ってはいないが、このコンセプトはVaporwave、とりわけそのサブジャンルであ る”Mall-soft”に受け継がれていく。 この作品は『Eccojams』と同じくサンプリングによって反資本主義的な表現を行うと いう特徴では一致しているものの、真逆ともいえるアプローチをとっている。『Far Side Virtual』は 『Eccojams』で見られるような「異形なもの」への変化はない。むしろそれはどこまでも明るく、軽快だ。フェラーロは
と語っている。資本主義の未来が明るいもので はない。そこから目をそらし、過去の栄光に浸ることに救いを求めること、つまりマーク フィッシャーが指摘した「資本主義リアリズム」を意識して作品が作られている。過度に楽観的なノスタルジーは、未来が希望に満ちたものではないことを間接的に描き出すのである。この「資本主義リアリズム」は『Eccojams』の持つアンビバレントさ-資本主義に対し反発的でありながらノスタルジーを感じざるを得ない状況-にも繋がる。音を加工して直接的に不気味さを演出した『Eccojams』に比べて、フェラーロは「明るすぎる過去」から間接的に描き出すという非常にコンセプチュアルなアプローチでそれを表現した。
これら2つの作品はVaporwaveの内部での2つの流れを生み出すことになる。一つは 『Eccojams』から始まる、資本主義の産物を異化しつつ、その心地よさに身を委ねるもの。そして『Far Side Virtual』から始まる、極度に過去の消費社会を明るいものとして描くことによって、未来に対する 不信を表明するものである。 またこの2つの影に隠れてはいるが、骨架的というプロデューサーも初期Vaporwaveを形成したうちの一人である。彼の作品は”Post-internet"とも呼ばれ、ダークでダウナーな曲調で、非人間的な音楽であることが特徴である。これはインターネットが人間社会に浸 透した現代社会、またそこから派生してコンピュータが支配する非人間中心社会の夢想である。Vaporwaveと呼ばれることを拒み、すぐにムーブメントから消え去ってしまった骨 架的であるが、HKEなどのPost-Vaporwave、HardVaporなどのムーブメントでリバイバ ルされ、初期Vaporwaveの重要プロデューサーとして認知されるようになった。
これらを経て、2011年12月、Vaporwaveの金字塔となったマッキントッシュプラス(数多くの名義を使いVaporwave作品をリリースしているプロデューサーVektroidの名義の一つ。)『Floral Shoppe』がリリースされる。Eccojams直系の加工法(実際に影響を受けた とVektroid自身がインタビューで答えている。)、機械翻訳された日本語、石膏像やピンク のチェック柄が描かれたアートワークなど、 Vaporwaveのリファレンスとなる作品である。上記のOPNとジェームズフェラーロは、Vektroidが影響を公言したため、遡及的に Vaporwaveの原点となった。まさにVaporwaveの方向性を決定づけた作品である。
そして、同時期の重要プロデューサーに、INTERNET CLUB、░▒▓新しいデラックスライフ▓▒░などの名義で活動する、Robin burnetがいる。彼はバブル期の日本のテレビCMをサンプリングした『▣世界から解放され▣』など、コンセプチュアルな作品をいくつか発表している他、”Vaporwave”の名付け親としても知られている。インタビューなどで「反消費社会」をテーマにしていると表明していたこともあり、Vaporwaveの反消費社会的イメージの形 成に重要な役割を果たしている。
ひとまずこの段階で、「反資本主義的実践である」「80年代のポップス、ミューザック のスクリュー」「音楽によって消費社会の象徴、体験を、(ストレートでなく奇怪さを持って)シミュレートする」「資本主義に対する批判でありつつ礼賛である」というのが Vaporwaveのコードとして固まっていたということは押さえておきたい。そしてこのコードは、Vaporwaveが広まるにつれ霧散していくことになる。
1-2「タグ付け」によるジャンル拡張
2012年に、Blank Bansheeが『Blank Banshee 0』を発表する。この作品は Vaporwave的サンプリングとスクリューという方法論に則っていながらも、TR-808のビートを中心とした、トラップのようなダンスミュージックであった。(実際、Blank Bansheeは"Vaportrap"を自称している)これは今までのVaporwaveとは比べると明らかに異端でありながら、#Vaporwaveタグがつけられていたため、Vaporwaveの一つと見なされることになった。
2013年、saint pepsiが『Hit Vibes』を発表する。この作品は、Vaporwaveのサンプリング元になるような80年代ポップスを、フィルターハウスのような4つ打ちのダンスミュージックにリミックスしたものである。サンプリングされた音がテンポを早めて使われていて、Vaporwaveの基本であるスクリューとは全く違った音遣いになっている。何より、その煌びやかさはVaporwaveが避けてきたものである。しかし『Blank Banshee 0』 と同じく、作品に#Vaporwaveタグがつけられていたため”Vaporboogie”という Vaporwaveのサブジャンルとして認識された。
その後Vaporboogieはフューチャーベース やナードコア、ヒップホップと合流し、”Future Funk"という独立したジャンルとしてみなされるようになった。しかし、現在もVaporwaveのディスクガイドなどでは Vaporwaveの一種として扱われることが多い。 このように、Vaporwaveにおいては「タグ付け」によるジャンル拡張が見られる。これは共通のリスナー集団や批評家を介さない新たなジャンル拡張であり、カルチュラル・スタディーズなどが用いてきた、「エンコーディング/デコーディング」概念やブルデューの「界」概念、アート・ワールドなどの、相互関係・共通認識を前提にするジャンル形成の過程から逸脱した現象である。これについては3章で詳しく分析する。
ひとまず確認したいのが、このような「タグ付け」によるジャンル拡張はジャンルそのもののコードを更新するものではないということだ。この拡張は、Vaporwaveに対するアンチテーゼとして提示されるものではない。
手慰みとしての作品制作があり、それをVaporwaveとして提示するに過ぎない。実際、Saint Pepsiはインタビューで
と語っている。
Vaporboogieのような「拡張」とは、弁証法的にVaporwaveを書き換えること ではなく、モードの更新として陳腐化させるのでもなく、Vaporwaveのモードの横に書き足すことである。しかし、Vaporwaveが書き換わらないからといってVaporwaveが変質しないかというとそうではない。Vaporboogieのような作品が増えると、Vaporwaveの皮肉的側面が相対的に薄れて見えてしまうのは確かだ。そして後述のPost-Vaporwave時代から現代にかけてますます新しいVaporwaveが氾濫し、そしてVaporwaveのコードはぼやけていく。
1-3 Post-Vaporwaveへ
Blank Banshee、Saint Pepsi以降にも、Vaporwaveは拡張され続けた。その結果運動としてのVaporwaveという要素はどんどん希薄になり、その代わりに音楽、美術の「様式」のみを模倣したものがVaporwaveとしてシーンに出回った。それを表すのが、2014 年Reddit上にアップロードされた、”Vaporwave Sub-Genres Guide from /mu/“内の、”Vapormeme”というサブジャンルの記述だ。”Vapormeme"は「目的もなく複数の様式をただ組み合わせたもの」や、「作るのが”簡単"という誤解から生まれる」と。そして この時点で「多くの人々は、これをVaporwaveだと思っている」という記述がある。この時点で、Vaporwaveというジャンルが肥大化した結果、「中心と周縁」の遠近感が完全に消失してしまったことがわかる。
そして2015年、その流れを受け、Hong Kong Express(以下HKE)とtelepath テレパシー能力者(以下テレパシー能力者)の二人によるユニット、2814によって『新しい 日の誕生』がリリースされる。このアルバムはVaporwaveのコードであった「80、90年 代の音楽のスクリュー」を捨て、完全にオリジナル楽曲で作られている。メンバーの一人 であるHong Kong Expressは『Vaporwave is dead』や、THE DARKEST FUTURE名義 で発表した『Floral shoppe』のパロディである『FLORAL SHOPPE 2』など、 Vaporwaveの様式そのものについて問いかける作品を数多く発表している*8プロデュー サーのため、Vaporwaveのコードを知らなかったわけではなく、あえて無視をしたとい うのが妥当だろう。この作品はVaporwaveの伝統的作り方からは外れた異端的な作品で ありながら、後期Vaporwaveの代表作として扱われることが多い。ここから"Vaporwave らしさ”が、サンプリングとスクリューという行為ではなく80年代デジタルシンセとドローン的音遣いに移行したことが見て取れる。これはすでにVaporwaveは運動から音楽 ジャンルへと変わっているということを明確に表している表現である。その背後にあった のは前述の「タグ付け」によるジャンル拡張であったのは想像に難くない。『新しい日の 誕生』、またそれ以降のVaporwaveフォロワーの作品は”Post-Vaporwave”とまとめられ ることが多い。 そして"Post-Vaporwave"時代が4年ほど続いて今に至る。
Post-Vaporwaveにはどのような特徴があるのかを、この世代の代表的なプロデュー サー、テレパシー能力者の変名である仮想夢プラザを例に挙げて確認したい。仮想夢プラザは2015~2016年に活動した名義だ。2015年から2016年前半までにリリースした70曲 ほどは、非常に長い尺(ほぼ全て30分前後)であるものの、チョップ&スクリューで作られ た、というよりチョップ&スクリューとエコー”のみ”の加工でできた典型的な『Froral Shoppe』フォロワーというような作品であった。しかし、2016年8月リリースの『破片』以降では、急にビート感の失われた完全なドローンになっている。Vaporwaveが資本主義に対する批評として機能するためには、参照先がポップスあるいはミューザックであ ることがわからなければならないはずである。しかし、2016年以降のリリースからはもはや何を参照しているのかがはっきりわからなくなっている以上、Vaporwaveとして捉えられるのか非常に難しい作品である。しかし多数の変名を持っているテレパシー能力者が、わざわざ仮想夢プラザの名前でリリースした以上、Vaporwaveとこれらには何らかの連続性があると見て良いだろう。 2814のメンバーとして『新しい日の誕生』を作っていたことを踏まえると、(“30分前後のエコー・リバーブが深くかかった音楽”というだけで、仮想夢プラザの活動としてカテゴライズした可能性を除けば、)2つの可能性が考えられ る。一つは「スクリューによる快楽を限りなく求めた結果、グラニュラー、あるいはド ローン的な音響にたどり着いた」というもの。もう一つは「デジタルシンセに深いリバーブのみがVaporwaveの条件で、サンプリングは必須ではないということを明らかにする」というものである。前者は『新しい日の誕生』のアンビエントミュージックとしての側面を推し進めたもの、あるいはスクリューという加工方法を究極的なところまで実行した結果と捉えられる。後者は『新しい日の誕生』の、サンプリングを用いずにVaporwaveを作ることでVaporwaveにおける前提条件を取り崩すという挑戦の究極の形である。どちらにせよ、"Post-Vaporwave"において、Vaporwaveの核であったサンプリングの美学は蒸発してしまっていることがわかる。
もう一つ、「HardVapour」*9と呼ばれるサブジャンルについても見ていきたい。これ はジェームズ・フェラーロの”Utopian virtual”と骨架的らの”Post-internet”が”Distroid" と呼ばれるムーブメントを経て、そのディストピア的世界観を先鋭化させた姿である。ま ず”Distroid”は音楽評論家のアダム・ハーパーが、ジェームズフェラーロによる BEBETUNE$とBODYGROUNDという別名義プロジェクトの音楽に対してつけた名前で ある。
ハーパーはディストロイドについて、
と語っている。そこには、Vaporwave特有のなよなよしたノスタルジーは全くなく、むし ろ資本主義と闘争が行き着く先を待望するようなマッチョイズムに溢れている。 “Distroid”はその後広まることはなかったが、HKEらが”Post-internet”と融合さ せ”Hardvapour”に発展させることとなった。"HardVapour"は、歪み、過度に強調された ビートを取り入れ、Vaporwaveを破壊的に参照する。前述の『Vaporwave is dead』もそ の一つだ。HardVapourは資本主義に対する皮肉の姿勢を極限まで押し進めた結果、到来 するディストピアすらも嘲笑しながら受け入れるというものだ。2012年にアダム・ハー パーが結びつけたVaporwaveと加速主義の関係は、主流にはならなかったものの HardVapourに引き継がれている。
しかし、「仮想夢プラザ」と”HardVapour”は物語の一つに過ぎない。Vaporwaveの皮肉 的な態度を持ち合わせた作品が完全になくなったわけではないし、伝統的なVaporwave を引き継ぐわけでもなく、ただただ表象を掛け合わせた作品も作られ続けた。中心と周縁 が希薄になったことによって、更新されるべきコード自体が霧散してしまった。それに よって引き起こされるのは、「大きな物語の消失」である。これにより、Vaporwaveとい う音楽ジャンルは、互いを参照しないスキゾチックな営み以外不可能になったのである。
このように、音楽を用いた反資本主義運動であったのが、「タグ付け」によるジャンル拡張を繰り返すことでアクティビズムの要素が希薄になり、純粋な音楽ジャンルに形を変え たというのが大まかなVaporwave史である。