でんわボックスに魔法をかけて
二〇一八年一月二十一日日曜日
くもり
昨日は朝からずっとあいこちゃんたちにお世話になったのんさん。お風呂にまでいれてもらい、帰ってきたらそのまま布団でぱたりと眠った。
帽さんは2つ隣の駅のあたりでパンクをさせて、1じかん半歩いてのんさんが眠ったずっと後に帰って来た。
いすを出して喋りながら家のまえでパンク修理をしていると、時々話しかけてくれるひとがいたりした。「なにかなさっているの?」
こんなふうに、直さなくてはいけなくなったときにたまたま居合わせたこどもやおとなに声をかけて喋りながら修理をして、やり方を伝える・知るということができたらいいなという話をする。
よくお会いするご近所さんのまつもとさん(この日はじめてなまえをうかがった)もたまたま通り、立ち話。actionにしようとしているsmall talk radioのこともあり、いつもより聞くの姿勢でいると戦時中からこの街にいることなど、あらゆる彼の話を訊かせてくださった。途中からこっそりと録音させてもらった。こんな言い方正しいのかわからないけれど、言葉を交わすと、じぶんのなかでそのひとに血がかようというかんじがある。それはそうなのだけれど、それぞれに時間が流れて物語があるというのを確かめるような、そして話す以前よりより温度が宿るというような。
意識して話を聞いてみてわかったことは
他愛もないようで他愛もある?はなしがしたい聞きたいということ じぶんから話しかけるかどうかは優先順位が高くないこと actionとしては区切りをつけて改めたりつづけたりするのがいいかも 文字起こしはとてもハードだなということ
晩ごはんは、キムチ鍋。
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