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ミス・豆大福
二〇一七年二月二日木曜日
晴れ
洗濯物を干していたら、がぽがぽがぽがぽがぽっと五歩くらいふいに歩いてきて驚いた。「すごいねえ。歩けるんだねえ、のんさん。」と興奮して伝えると、うれしそうにわらってさっそくまた五歩くらい歩く。このごろ、さんぽのときも片手だけ手をつないで歩くときがあったから、準備はちゃくちゃくとすすんでいるのだなあ。
きょうは川沿いをさんぽ。のんさんの手のひらよりずっとおおきな石が埋まっていて、にぎることのできるくらいの石ころが足元にひろがっている。彼女にはそこはテーマパーク。石ころのうちゅうにやって来た。いちど抱っこからおりると、とれる石、とれない石をさわって、とれる石は渡してくれた。返すとあたまをふってお礼する。十五分くらいはそこにいたような気がする。ようやっとすすむけれど、すぐに降りてなかなかすすまない。鉄板が渡してある、半円の溝にたどり着く。枯れた草や土が横たわっている。溝をまっすぐに歩けば川へつながっているのではじめ危ないからと避けようとしたのだけれど、じぶんでひざずり歩きでそこまで戻り溝のくぼみに入る。枯れた草を分けてくれたり、よじ登って溝の淵に腰かけたり。とちゅうで通ったおばさまに「よくあそべる子ねえ。」と声をかけられる。(よくあそべる)というのは、とってもほめことばだ。そして、よくあそぶのは容易ではないように思う。わたしは、枯れ草を用心深く割いたり、ちいさな枯れた芝をつまんで渡したり、溝にすわったり、ここに感動があるのだなあって。みえていないせかいがそこにはある。のんさんにはみえているから、なんというか翻訳してわたしにもみせてくれる。それも拾えるようにしていないと受信できずにみえない。期間限定タイムスリップ、こどものせかいだ。あぶないとか疲れたとか、それもそうなのだけれど、のんさんの感動を、みえないせかいを、受信できるようにしていたいものだ。
夜ごはんは、にんじんしりしり、カブとベーコンの炒めもの、かつ丼。