もぐらの一服
二〇一七年四月二十七日木曜日
曇りのち晴れ
帽さんはポールな夜。
事実を、事象をならべることで、詳細をつづるほどに、みえるものもある。(ああ、それはそれはヨダレが出ちゃうなあ)とか思うかもしれない。けれど、それになのか、うん、さだかではないのだけれど、うっ息がつまった。いまが日付を超えて薄暗いふとんのよこ、パソコンのまえだからだろうか。なにかがとうめいになって、こっちがわへいるとき。たとえばそれはつくるとかことばを追っているときとか、わたしは原田郁子さんの音楽を聴きたくなる。受け入れられる状態になる。身体にひびいてひたひたひたひたと。よりそっちがわへ。深まる。彼女のこえを聞いて、youtubeが選んだラジオでどうだろうと思っていた彼の曲とことばをみつめる。うっ、息がつまった。それはわるいとかいいとかってことではなくて、みえているところにはないものを捕まえにゆかなくちゃ、そろそろとか。なんでだろう。そう思った。そのためにしずかにしずかに、と。
かたよる。かたほうによる。かたいっぽうへよる。かたいっぽうのよる。だれかたちを離してしまいそうな、かたよる。
わかるひとにはわかる、みたいなことにはしたくないのだけれど、時々こんなふうになっちゃうわたしのことばはどんなふうに受け取られるのでしょう。あこがれるのは、そっけないくらい短く二文くらい。軽やかにくすっとユーモアもあるようなそんな日記がすきなのだけれど、きょうもこんなにかいている。潜る深さもたりなくて、はやくにぷはっ、顔出して息をしちゃう。
そんなわたしにおすすめの一冊はありますか。きになるひと、だいすきなひと、それぞれに一冊くださいと伝えたらどんな一冊が集まるのだろう。
夜ごはんは、母のごはん。毛蟹!、かれいの煮つけ、トマトと茹でアスパラガス、鶏の南蛮漬け、ポトフ、ごはん。
贅沢でおなかいっぱいのはずなのに、ひっそりこっそりねむるまえにばななをたべた。のは、なんでだろう。なんでだろう。
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