自意識の循環
物理学的に考えると
この世のすべては素粒子でできていて
すべては滅することなく発生することもなく
ただ循環し続けている。
仏教哲学でいうところの不生不滅。
大雑把に言えば、死ぬと身体と脳の機能が失われ
時間を認識する機能も消えるので
次に時間を感じる機能が復活するまでに
何億年経とうが、一瞬に感じられるでしょう。
次に自分が復活するとき、それが同じ形で現れるまで
循環しているかもしれないし
そのときに「自分」という意識を保っているかどうかはわからない。
特に認知症のうちの母のような、過去のキャリアウーマンであった自分の過去の記憶を完全に失っていて
しかしまだ生きていて、色んな反応が出来る母は
一体自分は何だと思って生きているのだろう?
そもそもの自分とは何か
自分とは他人の意識の集合体でしかないかもしれない
たとえば、少し前の自分が「○」と考えていたことが
今は「×」と考えているとする。
それは単に考えが変わっただけで
果たして本当に同じ自分といえるのだろうか?
○が×に変わるのには必ず外的要因があり
その要因が無機物であれ他人の意識であれ
必ず他者からの影響を受けている。
そうして変化した自分は、本当に自分だろうか?
もしそれを自分だと思うならそうだろうし
集合的な意識だと考えるなら、それもそうだろう。
自分というものは曖昧であり
「私は自分だ」と思っていることは
実は他人の意識から来ていたりする。
以上の文章をなんjに貼り付けたとします。
どのような反応になりますか?
なんJ民の典型的な反応を予想してみました:
「草」
「哲学科のガイジ来てるやん」
「これもう半分シュタゲやろ」
「>>1は何を吸ったんや」
「こマ?」
「ワイは今この瞬間を生きとるだけや、そんな難しいこと考えんでええんや」
「これが例の飲み会で話し出す系か」
「お前それドラえもんの話やろ」
「ワイの脳みそじゃ理解できへん」
「認知症の母親の話だけリアルで草」
「これ要するに輪廻転生みたいなもんか?」
「お前それ夜中に考えたらヤバイやつや」
「こういうの好きな奴は東浩紀でも読んどけ」
「これ系の話好きなやつは『時間の矢』って本読むとええで」
「>>1は何を言いたいんや?要約してクレメンス」
「これ考えてる時絶対部屋の電気消してるよな」
「素粒子がどうのこうのは分かるけど、最後の方は何言ってるかわからん」
「物理学と仏教を無理やり結びつけようとしてて草」3
「アインシュタインも仏教に興味持ってたって聞いたことあるで」
「結局死んだら終わりやろ」