11.19
3.11の大地震の影響で、自分の命が脅かされ、草野マサムネのように縮こまっていた僕の心を癒やしたのは、苫米地英人の「大丈夫、ここから先は良くなるしかないですから」というような言葉。昔も今も苫米地英人の事は胡散臭いと思っている、色即是空の事を色即是無なんて言い出した時から、いや空だろ仏陀の言葉を否定しおって、と思ってたけど、よくよく調べると、般若心経というのは仏陀が死んだ後に弟子たちが彼の言っている事を解釈してあのように書いたと、そうであれば色即是無も1つの見方だと思えてくる。
「どん底まで叩きのめされたなら、あとは上がるしかない。」と、だから落ちる事は上がる事と同じなのだと。苫米地英人は言っていた。それは空の本質のようなこと。
犬
子どもの頃から実家には犬か猫が居る。一人暮らしをした時以外はだいたい居る。2,3歳の頃、自分の手の皺を見て死の恐怖に慄いた。それ自体がトラウマとなっている、大人の誰に問うても分からないと言うか、天国とか桃源郷といった嘘を言う。16,7歳になるまでは常に親戚の誰かが年に2,3人は病気や寿命で死んでいて、「これって戦争並やん」とか思った記憶、良く接した人の死以外はそんなに悲しくない、自分を育ててくれた叔母に対してはもっと泣きたいところだったけど、晩年は認知症で、僕は音楽やらネトゲやらサブカルに夢中だったし、そもそも涙腺は強く、他人の前で泣いた事は1回も無かったほどなので、少ししか悲めていなかった。
父の死も、父に恨みがあるわけでもなんでもないけど、遠い親戚のおじさんが死んだような感覚で、愛人宅で密葬されている状態を見て「これ実は他殺か?」なんて少し楽しんだりして、それ以外は早く帰って自分の事をしたいと思っていた。
それよりも犬のゴンタが死んだら、自分はどうなってしまうんだろうと思っていた、ずっと一緒に居て、何百回と散歩に連れて行った、車に乗せて一緒にどっか行ったり、少ししてから初めて拾った猫のノラの、その、猫特有の気まぐれな態度を見て、まぁこいつが死んでも別に何とも思わないだろうなと。でもゴンタが死んだら自分はどうなってしまうんだろうと不安を覚えていたが、ある日ゴンタの鼻にガンが見つかり、そこからしばらくしてゴンタは死んだ。悲しかったけど、思ったほどではなく、あくびほどの涙しか出なかった。
それからしばらくして、ノラが猫エイズにより徐々に弱っていった、死ぬ前日、全身のリンパが腫れて、きっと激痛で意識を保つだけでも難しいだろうのに、ボロボロと涙を流す僕に向かって、前足を前後にふみふみしてくれた、翌日、看取る事も出来ず、疲れて寝てしまった僕が朝起きると、一歩も動けなかったはずのノラが居ない、探すとテレビの裏で死んでいた。
ノラが元気になるなら体の半分くらいは無くなってもいいと、いつもは死ぬのが怖くて痛みに敏感な僕が本気でそう思っていた。猫なんかどうでもいいと思っていたのに、そこから2週間は涙と鼻水が滝のように流れ続け、ティッシュやタオルじゃ足りないから机の上に垂らしっぱなしになって、2週間があけても、何かふとしたことで思い出すと涙が止まらないし、これを書いている今も涙が頬をつたっていく。猫なんて死んでもどうでもいいと思っていたのに、犬のほうが悲しいと思っていたのに、他の親しい人間たちよりも犬よりも、このあとに死んだ猫たちよりも、圧倒的にノラの死がなぜか大穴が空いてしまっている。今でも分からない、それほどまでに大切な存在だったのだろうとしか。ファンタジー的な解釈をすると、過去に何か魂のつながりでもあったのだろうか?
でも分析すると、少し似たような思い出がある、それは死んだとか失恋したとかじゃなくて、店先で認知症の母に罵られまくっている僕を見て、かなり歳下の子が「なんでそんな事言うんですか、純くんは頑張ってますよ」と母に言った、その時僕は苦笑いで「ほんまよw」なんて言ったけど、この事を思い出すと涙が落ちることがある。僕は自分が頑張ってるのかだらけてるのかわからないが社会的に見ると間違いなくだらけている。
内情を話して僕にそう言ってもいいように誘導すると、半数くらいの人は「それはもっと頑張った方が良い」「もったいない」と言われる、それはそうだからそう言われて当たり前なんだけど、言わない派の「いや、それはそんなことないですよ」「今のままでいい」と言ってくれる人には、そうじゃないんだけどなと思ったりする、もちろん後者の方が嬉しいんだけど。
守られる事に弱い気がする。僕のほうが圧倒的に歳上で、僕の母親は認知症で、その母親の言葉なんだから、普通は口出ししない方が無難だろう、下手したら僕に「何も分かってないくせに」と思われるかもしれないのに。普通に考えてハイリスクノーリターンなのに、それを乗り越えて僕を守る発言をされると、混乱してしまうというか、でも強制的に心が救われてしまう。
名越康文先生が血の轍の吹石を「薙刀の女」と表現していたが、あれはそれに似てるなと。
ほかにも僕はうっすらほんのりと小馬鹿にしていた友達からも守られた事がある。ある日その友達が居る時に店先に来た礼儀をわきまえなさそうなおっさんの話相手をしていたのだが、そのおっさんが不意に店先の用水路に痰を吐いた。僕は汚えと思いつつ、まぁ用水路だし後で流せばいいと何の気にも止めていなかったが、それを見ていた友達がそのおっさんに「拾え」と怒りの形相で凄んだ。僕は「いやそんなん大丈夫やって」と焦った表情をしつつ内心「草」と思っていた。おっさんはその凄みに縮こまり、「え、そんなん、怒るなてwごめんてw」みたいに言ってたけど気まずそうにそそくさと立ち去り、後で何故か千円札を渡しに帰ってきた。さすがに僕はあれくらいのことで千円なんて思えないから受け取れないし、友達も「そんなきっしょい千円要るか」と冷たくあしらっていたが、そのおっさんはヘラヘラしつつもほんまに反省してたのと、それが伝わって、友達はその千円を受け取りグシャグシャにした上で「ほなこれで酒買いましょか」と。ここは男心にさすがにカッコいい。
そういう守られた思い出を思い出した時に、なぜかノラの事が思い浮かぶし、連鎖的に泣いてしまう
それとは全然関係ないけどなんで旅館のゲームコーナーはあんなに楽しかったんだろう、今もあるのかな、無いだろうなあ滅多に。
スリッパ、いやもはや裸足で行ってもいいし、キャッチャーはやさしめ設定だし
イメージとしては古すぎますかね
20代が64を懐っ!!とか、ひどいときはDSを懐っっ!!!とか
ワイからしたらどっちも新しい機械の印象が
この曲(2年前の初音ミクの曲)なつっ!!!とか
20年後見ておれ
「Switch?なにそれ」「知ってる!!おじいちゃんの家にあった!!」になるからよ。
しかし冷水シャワーを浴びると調子が良いかも。
浴びてないけど