オセロゲームというのは、黒と白が裏と表になっていて、ひっくりかえる。 真っ黒だったのが、一手で真っ白になる。価値観がオセロのように変わっていますね。古い、とおもわれている価値観ですが、また、この価値観にひっくりかえるかもしれません。オセロは真っ黒から、真っ白へ、また真っ黒になることがありますから。以下は、黒の側のひとです。 実力がすべてですよ。努力。努力して、勝ち取るんですよ。 このごろの若いひとは努力が足りない。ちょっと怒られたら、すぐにやめるでしょ。私たちのころには、だ
この間、古本屋で、知り合い人が書いた本をみつけました。 ずーっと昔の、小学生のころの、いわゆる幼馴染です。 読んでみて、彼女はこんなにすごい人生を送っていたのか、とおどろきました。外国に暮らして、そこで認められて、どんどん世界を広げているのです。 同時に、自分がせまいせまい地域で暮らして、毎日の暮らしに追われていること、おそらくこのまま死んでいくことをしみじみ思いました。もやもやが霧のように広がりました。 暑い午後、明日のごはんの買い物に出て、少し遠回りをして帰りました。 空
いつも、ごはん、何を作ろうか、と考えている。 暑いから、買い物に行く回数を減らしたいし。 ごはん、って作って終わりじゃないじゃないですか。片付けだってある。 皿をしまって、水回りをきれいにして、そこまできて終わりじゃないですか。終わったら、次の日のこと、どこかで考えてる。 追い回されてるかんじ。まっすぐに進んでいる、とか、一直線に登っている、というのではなくてぐるぐる回っている。それが家事。 ぐるぐる回す遠心力のもととなっている。ぐるぐるを手伝ってもらうのではなくて、ぐるぐる
コッコちゃんは末っ子です。おばあちゃんに育てられています。 コッコちゃんの両親は共働きでとても忙しいからです。コッコちゃんには二人のお姉さんがいます。お姉さんたちは小学生なので、どたばたと学校に行きます。行く前に、コッコちゃんの顔をみて、学校に行かなくていいなんていいね、と言います。コッコちゃんは、学校、というのがどんなところかわかりません。世界は、自分の家の中だけです。その中で、幻燈がまわるように、ごはんを食べて、絵本を読んで、毎日が過ぎていくのです。
運河沿いをぶらぶら。太陽は少し西に傾いた。8月、日差しは、7月の若さがなくて、熟れている。それでも暑くて、熱風のなか、とぼとぼ歩く。 セミは、今を生きるように鳴いている。草は蒸されたようになって濃い緑。 煮詰まったような午後、運河はかまわず流れている。 セミが一匹、斜めにすーっと急降下。川に落ちた。あがくセミ。 それをみながらなすすべもない自分。死ぬところを見ている自分。 不慮の事故。 やがて静かになった。そして、もう一あがきして、ほんとうに静かになった。 とぼとぼ歩き続けな
トットさんは片付け上手です。収納、ってんですか。とにかく捨てまくって、何もなくする。そこに、収納のハコ? 白いハコを高さをそろえてキッチリと並べる。一つ一つにラベルをはる。一目瞭然、とはこのこと。そして、おばあちゃんのベッドは、これもみんなの動きやすいところに置く。上から下に磨き上げて、掃除機をかける。掃除機をかけやすいように、できるだけ床にはものをおかず、浮かせてある。この頃は壁にとりつけて、そこにひっかけて下にはべたっと置かない。するとすべてに掃除機がかかるんです。 あん
池江選手が予選に落ちた。静かに泣いていた。 思いもかけないことがおきて、下道を行くことになった人、というのはたくさんいる。静かな、声なき声をもって、世界中にいる。 みんな、悔しい思いをしかみしめながら、悔しさを味わうことなく、王道(のようにみえる)を苦も無く走っている人を見つめる。自分もそこにもどりたい、その道を同じように、走りたい、と願う。 時には怒り、時には恨み、あきらめもしながら、生きることだけで精一杯で、淡々と、生き続けているひとたちが、あなたを見ている。 あなたが、
阿部詩選手が、大声をあげて泣く姿をみた。見入ってしまった。雨の降らない、乾燥しきった大地に雨がふったような。そこには、驚き、と深い悲しみがあったけど、怒り、を感じなかった。明るい、大らかな泣きっぷりであった。この人は、これだけの、どしゃぶりの夏の雨のように涙を流して、また、そこからぐんぐんと育っていくのだろう。 新しい芽が出てくるか、花が咲くか、するだろう。
オリンピック柔道をみていた。永山選手の試合だった。いつも代表として試合にのぞむまでの、その人の道程を思う。そういう表情をしていた。道を歩いてきた人の顔だった。柔道、とはよくいったものだ。柔術ではなく、道だから。負けたときに、永山選手は納得がいかず、求められた握手をしなかった。判定、審判にあってはならない問題があったのだろう、と思った。 まっすぐな顔で怒っていた。まっすぐな怒りであった。興福寺の阿修羅像のような怒りの表情をしていた。銅メダルを獲得したが、もちろん、のぞんでいたメ
朝、パリオリンピックの開会式を見ていました。 雨がふりしきる、夜のパリ。ぬれた歩道にうつる光。 オレンジ色のエッフェル塔から響いてきた、愛の讃歌。 セリーヌ・ディオンの歌声。雨つぶがちりばめられたグランドピアノ。 白銀の衣装を身に着けて歌いきる姿。 彼女は、難病に苦しみ、しかし、歴史的な時と場所と人生のタイミングで、この舞台にたった。ツヴァイクのいう、星の時間です。
末っ子です。両親の老後、一緒にいたのは私でした。30代でしたし、仕事で成し遂げたいことがいっぱいありました。その一方で、家では親たちが老いていくんですよね。最初に弱っていったのは父でした。家から出ていった姉は時々帰ってくるくらいで、ほとんどノータッチでした。今でもそのことを考えると腹が立ちます。親のこと、捨てられないですよね。でも、自分の人生も捨てられないですよ。父は、どんどん弱っていく中、私が献身的でないことを、責めていたと思います。その時は母がカバーしてくれていましたので
主人、80歳こえたんです。 前立腺がんがあるでしょ。この間、病院にいって、もう年だし、つらいので、抗がん剤の治療をやめたい、といったんです。そしたら、先生から、止めたら、余命は3年です、それでもいいんですね、といわれたみたい。帰ってきたら、めずらしく考え込んで、テレビでがんのひとの番組をじーっとみてた。脳梗塞もしてるでしょ。歩くのも大変で。リハビリでやっと身の回りのことができてるけど、本人もこのままがんの治療で弱ったら、動けんようになる、思って決心したんです。先生は、どうにか
主人を介護しています。認知症です。周りのひとは、ご主人しっかりしておられるじゃない、大丈夫よぉ、といいます。でも朝から晩までいっしょにいたら、主人のボケ具合がわかります。一緒に暮らしてないとわかりませんよ。 怒ってはだめ?それはわかっています。わかっていますけどつい、こんなこともできないの?と言ってしまいます。今、デイサービスには一日だけ行っています。もうすこしふやしてほしいですが、もう嫌だ、行かない!と言われると困るので、まずは一回だけ行ってもらっています。今は一人の時間が
介護しています。脳梗塞になって、リハビリがおわってから家でみています。介護4ですから、排せつ全かいじょ、ということです。左半身マヒですので、右手は使えますので、食事は部分かいじょです。もう4年になります。介護をしはじめてから、友達から、なんで人にもっと頼まないのか、と怒りのかんじで言われることに気が付きました。お前、もっと世の中のために働けよ、家で人にまかせられることをして、大変そうにすんなよ。言葉はもっと丁寧ですが、そんなところです。 仕事は医療職です。介護のおかげで、患者
エスさんが亡くなってもう30年近くたちます。今でも、どうしてエスさんが亡くなったのか、考えています。遠くに転勤になったあと、年賀状を交わすくらいで、元気にされているものと思っていました。 亡くなった、という突然の知らせに驚きましたが、家に帰って、夜ねようとして電気のスイッチを切った時、ふと、自分で命をたったのかもしれない、という考えが浮かぶと、よく眠れませんでした。 三年前のある日、テレビをみていますと、ある方が賞を取られて、それについて、弟子の方がインタビューを受けていまし
ふーみんさんは、太陽のような人です。明るくて、優しい。怒らない。 みんながふーみんさんの周りに集まって、ぽかぽかしています。 今日も、ふーみんさんは明るく、歌うように話しています。でも、明るさのなかに、ギラ、とした、稲光のような影が見えます。本当に一瞬のことです。 ふーみんさんのお友達や、家族、そしてふーみんさん自身に病気の影が差してきました。いままでも、いくつもの病気をのりこえてきました。でも、その時はまわりも自分も若かった。 夏の終わりの夕焼けのように、明るいけど、日が沈