新歓ライブ
いつから書こうかと思ったけど3年の新歓からにした。
本格的に障害との戦いが始まったのが3年の新歓からだから。
腰が痛くなったのは2年の創大祭からだったけど、その時は我慢出来るくらいだったしあまり気にしてなかったしライブ期間終わったら大丈夫でしょくらいにしか思ってなかった。そこから冬学と冬芸会があって腰はかなり痛み出してたけど人には言わなかった。
これは自分のいじっぱりで負けず嫌いな性格のせい。人に自分の弱みを見せたくなかったからずっと隠してた。
その結果
新歓が始まった頃には腰と右肩が何もしてなくても痛くて我慢出来ないくらいになってた。
けどその時の俺はそんなこと気にしていられなかった。その時正規、ユニット、映像全部上手くいってなかったからである。
オーディションに落ち、ユニットもすべり、映像も曲のテンポが速すぎて何もイメージ出来なくて相当追い込まれていた。
でも呼吸するだけで痛いのは流石にヤバいと思ってガクコメ終わりに病院に行くことにした。
右肩と腰に野球選手並みの炎症を起こしてる
医者にそう言われた。正直笑った。
お笑いサークルでどうやったらそんな炎症起こすんだよってその時は軽く捉えてた。
けど実際右手は45度くらいまでしか上げられなかったし腰は全く曲げられなかった。
病名は肩が肩甲骨外転症候群、腰が伸展障害と言われた。その日からコルセットとテーピング生活が始まった。
少しでも負担を減らしたかった。それにそうでもしないと立っていられなかったからである。
そして医者に絶対安静で半年全く動いたらダメって言われた
は?いやいや、無理やろ。無い無い。
半年後って考えたら創大祭が終わる頃。その時まで動けないって言われて分かりましたって思うわけがない。
しかもこの事を俺は周りに隠そうとしてた。
でもこれは言えない性格だとかじゃなくて、同期の荷物になりたくないって思ってた。
2年の芸会を通して自分たちが中心になって落研を引っ張っていかないといけない。先輩達を勝たせたい。落研を日本一にしたい。その決意で始まったすぐに安静にしろってなんだよ。
結構悩んだ。置いていかれたくない。だからやる。それ以外考えてない反面それが出来る体じゃないのは認めたくないけど分かってた。
初めて相談することに決めた。けど同期は抵抗あったから何人かの先輩にした。
案の定辞めるように言われた。「今のままじゃ後輩に示しがつかない」とか「無理してやっても指針体現できない」とか色々言われた。
ムカついた。でもその通りと思ったから何も言い返せなかった。
でもある先輩に言われた。
「最初から辞める気無いんだからつべこべ言わずに頑張りなよ」
この言葉で吹っ切れた。同期にちゃんと言ってやることにした。
そのあと話してて何故か3食報告が始まった。まぁ俺がご飯を食べないのが悪いんだけど。
でも本当にキツかった。1日1食食べれば良い方だったから3食食べるのはマジで大変だった。拒食症なのか分からんけどお腹が空くことも無いし本当に食べるという行為が嫌いだったため、苦痛だった。
しかも食べれませんでしただったら治らないから何が何でも食べなきゃいけないショック療法だった。何回か朝昼食べれずに夜に3回食べる時もあった。
22歳にもなってそんな報告に付き合ってくれてただけでも有り難いし情けない話しなんだけどその時は鬼に見えた。
人に頼ることが出来ない俺は同期に言うのは抵抗があったしその中でもたけしに言う時怖すぎて間にやえばさんを挟んだ。言ってくれて良かったってたけしは言ってくれたけどどうしていくかとかは2人とも考えられなかった。とにかく自分の環境を整えて無理無いやり方をするしかなかった。
でも結局ライブをするには無理するしかなかった。クオリティも勿論間に合わせるのもギリギリな状況で抑えながらやれるほど器用じゃなかった。
結局徹夜続きの状況で教室ライブが始まった
気がつくと自分の体が震えていた。
何かに寄っかかる状態じゃないと足が保たなかった。
何より正規が終わった後のEDMCで袖から舞台に上がろうとした瞬間に尋常じゃない痛みが起きた。右足の筋肉が弾けたのかっていうくらい力が入らず、ずっと左足だけで立ってた。見てた人にはどう見えてたんだろう。
めちゃくちゃパニックになってたの隠せていたのかな。
結果教室ライブはかなりヤバい形で終わらせてしまった。その後に7期演者何人か集まってガクホは何が何でも成功させるって話していた。
けど体の事を考慮してガクホ合コンから外れた俺は何も出来ない悔しさと思うように動かない体の不甲斐なさでデスコと2人になった時に泣いた。
「お前が全部難を背負ってくれてる」って言ってくれたけど涙が止まらなかった。
まだ体のことが受け入れられなかったから。
自分は出来るって思ってるのに動けるレベルと理想があまりにも違い過ぎた。何も出来ずに皆んなから休めって言われるのが悔しかった。
切り替えれずにいると先輩から連絡が来た。
3食報告の連絡が来なかったからである。
3食報告していると、報告が無い=何かあったが明確になってしまう。食べる努力をしてたけどこの時は本当に食べれなかった。
その時に勢い余って先輩に全部ぶち撒けた。
ふざけたことばっか言う人だけど話しを聞いて貰って少し落ち着いてユニットと映像に切り替えられた。
ユニットの時は体の調子が良かったから無事に終えた。
ガクホの時はアジりをした。ずっと椅子に座ってたけど後輩達が頑張ってくれた。
なんやかんやで怒涛の新歓が終わった。
けど地獄は始まったばかりだった。