親と話すために家に帰った。 戦う気満々で帰ったが最初の2日くらいは何も話さなかった。少しリラックスして冷静になって親と話した。 とにかく落研を続けたいと言った。続けることは周りも望んでないかもしれない。先輩からも止められ、病院からも止められ、同期も無理しないで欲しいって言ってるのに続けるっていうのは完全に自分のわがままだ。それで周りを心配させて振り回すことになるのは分かっていた。 それでも続けたかった。ただ後悔したくなかった。一緒にやってきた同期、何回も助けてくれた先輩、
新歓ライブが終わって体は更に悪化してた。 安静にしてたつもりだったけど全然出来てなかった。そして医者に入院するように言われた。 そうでもしないと安静に出来ないだろうと。 でも断った。辞めるつもりは全く無い。 その事を告げると医者から考えが甘いと怒られた。 「本当に歩けなくなった時に周りの人は責任取ってくれるのか。死ぬまで介護してくれる人はいるのか。一時の感情で将来を無駄にするな。」 言い返せなかった。別に歩けなくなるなんて思ってなかったし、周りの人に責任取らせるつもりな
いつから書こうかと思ったけど3年の新歓からにした。 本格的に障害との戦いが始まったのが3年の新歓からだから。 腰が痛くなったのは2年の創大祭からだったけど、その時は我慢出来るくらいだったしあまり気にしてなかったしライブ期間終わったら大丈夫でしょくらいにしか思ってなかった。そこから冬学と冬芸会があって腰はかなり痛み出してたけど人には言わなかった。 これは自分のいじっぱりで負けず嫌いな性格のせい。人に自分の弱みを見せたくなかったからずっと隠してた。 その結果新歓が始まった頃
どーも。さんぽうです。 あんまりらしくないと思いつつ3年時を振り返ります。別にデスコのみたいに伝えたいことがあるとかでもなんでもなくただ書きます。 理由は伸展障害を治していずれやるであろう体験発表の下書きみたいな感じです。それと記憶維持のためです。ってかそっちの方がメイン。 僕は人より脳みその作りが良くないため記憶力がほぼ無いのですぐに忘れてしまいます。イベントとか友達とか関係無く記憶が消えてしまいます。ただこんなことやってたのに記憶消えるのはもったいないし嫌だなって初め