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たとえば、さびれた温泉地で。

このゴールデンウィークに伊香保温泉に行ってきた。
都心からのアクセスの良さや最近の昭和レトロ人気で、昭和の香りが漂う街には多くの人がいた。

伊香保の街には人が集まる店もあれば、店を閉めてから長らく時間が経っているであろう店もあった。そして、人が集まる店は比較的新しい店が多いように見受けられた。

街の盛り上がりがまだらになっていて、街でともに時間を重ねてきたお店がそっと幕を閉じて、そこにあるのにあたかもないようなそんな感覚を覚えた。

観光客も帰った夜、オレンジの街灯に照らされた石段の街はしとしとと降る雨が路面を濡らして鈍くキラキラと光っていた。

静かであるからこそ、さびれているからこそ感じられるものってあるのではないかと考えたりしながら石段を登る。

そこに生活がある人にとってはさびれているからこその価値があるなんて言われたところで人生がかかっている人たちにとっては無責任な発言極まりないものではあるが、人気かつその地域にしっかりと経済効果をもたらしながら「静かさ」や「落ち着き」を価値として押し出す方法を考えるのは意味があるように感じた。

何はともあれかつての賑わいに思いを馳せながら街並みを眺める時間は、
自分にとってとても有意義なひとときだった。

コロナによって思ったように出かけられない日々が続くが、できる範囲でいろいろな場所へ足を運び、その時その場所でしか感じられないものを大切にしていきたい。

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