毎日の先に
なんだかちょっと泣けちゃう話を読んだ時とか、人生の悲哀を人の俗な部分に乗せて描いたCMを見た時とか、つらい恋愛の先に結局なんの答えも見出せないラブソングを聴いた時とかに、余韻がいいよねとか、描かれてない部分がいいよね。とか言われると
「あ。あなたそのタイプね」
ってちょっと思う。
わかったふりしないでよ。結局その余韻の中で描かれているもの、頭のなかに浮かび上がってないでしょう。描かれてないとこをどう読み取ったかまで話してよ。
とか思っちゃう。
翻って自分で言うと、そういうものに触れた時、この瞬間以降の自分がなんだか許された気がする。だから好き。
笑える話も、泣けちゃう話も、だいたい人間の心の弱いとことか、幼いとことか、醜いところ、ダメなとこをそうっと見える範囲なのに言葉や表現にしないで置いといてくれるだけで、
なんだか、そうそう自分もそうなのよっていってもらえている気がして、ちょっとだけ気持ちが軽くなる。
他の人の表現しない部分へ見出す答えは、なんであったって別に構ったことではないんだけども。わかった感じで話されると、ちょっとそこのくわしい話聞かせてよ。
と、いいたくなるなぁって思った夜。