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アジア系学生は、アメリカの大学受験にどう立ち向かうのか? その1

 駅前の交通の便が良いところに位置する塾や予備校、電信柱に貼られた塾や予備校の広告看板・・・日本に帰るたびに、日本の塾や予備校の存在感の大きさを感じる。

 日本の都心部では、幼稚園から始まり、小学、中学、高校、大学受験を目指す人のための学習塾・予備校が用意され、学習レベルと目的別に応じて補習塾から進学塾まである。受験において塾の果たす役割が大きく、一つの産業として成立し、社会に受け入れられている。そのため、サービスを受ける側の生徒や保護者も、数ある塾や予備校から自分に合ったものを選べる。数十年前のことになるが、私自身が日本で大学受験をした時は、駿台予備校、河合塾、代々木ゼミナール、と大手予備校が3つもあった。当時は、こうした環境に対して疑問に感じることはなかった。

 しかしその後、海外生活が20年超となり、アメリカで子育てをし、アメリカの公立高校の教職に就くうち、そうした環境はアジア独特の現象なのではないかと思うようになった。私は、ワシントンDC郊外の文教地区に暮らしているが、日本のような受験戦争の空気を感じることはない。地下鉄の駅前は閑散としており、そもそも塾や予備校に限らず、看板というものを目にしない。新聞に、塾や予備校の折り込み広告が入って来ることはあり得ない。スポーツやアートなどを行う夏休みのサマーキャンプの広告はある。アメリカでは、目的を明確に持ち、積極的に情報を集めようとしないかぎり、塾や予備校の広告は目に入って来ないのだ。

 アジア出身の親は、概して子どもの教育に熱心で、家計が厳しくとも、どうにか工面して子どもの教育費に投資をする。アメリカで高校生の子どもを持つ母として、そして臨時教師として高校に勤務していると、アジア系のそうした姿勢は、他のエスニックグループと比べて突出していると実感する。ここで言うアジア出身の親のルーツは、韓国や中国、香港、シンガポール、インド等だが、日本以上に厳しい受験戦争を勝ち抜いて大学に入り、その後、さらなる研究や専門的な仕事を得てアメリカにやって来ている。そうした彼らだが、アメリカで育つ子どもたちにどう教育を施し、大学に入れたらいいか、皆、試行錯誤している。

その2に続く

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