【1000字ちょっとの小説】お月見禁止令
「おまえらさー、自分たちがやっていること、わかってんの!!!」
突然、テレビ画面に、
うさぎみたいな・・・かぶりものをした人が映っていた。
「おまえたちの地球では、プライバシーの侵害っていうんだよなー。毎晩さ、見られてる俺たちの気持ちにもなってよ。特にひどいのは、お前らの地球から見て、俺らの月が丸く見える時だよ。”満月のパワー”とか、“お月見だー”とか言って見やがって。言っとくけど、やってること覗きだよ」
たぶん、ドッキリとかなんだろう。そう思って、チャンネルを変えてみた。
なんと、どこも同じ映像だった。
スマホをつけてみると、待ち受けも、うさぎのかぶりものになっていた。
私たちが状況を飲み込めたのは、30分ほどたってからだった。
被り物なんかではなく、彼は宇宙人だった。
彼の言い分は、こうだ。
「自分たちは日頃、月でひっそり暮らしている。
ところが、地球人が、自分たちの家を 生活を じっと見ている。気持ち悪いから、もういいかげん、やめてくれ」と。
地球なんか消してしまえるくらいの科学力を持っているとわかったことから、各国の首脳陣が集まり、1つの約束が決まった。
お月見は禁止。
そう、私たちは、月を見上げること、眺めることを禁止されたのだ、
「外圧に屈するのか」とデモをする人々。陰謀論を囁くSNS。軍事力の開発予算アップの重要さを説く政治家、月見をしたら月の魔力によって殺されたという事件、様々なことがニュースとなるが、私たちが月を見上げることはなくなっていった。
たまたま月が目に入る・・・ということはある。でもじっと見たり、月を見ながら過ごすことはなくなった。
最初のうちは、見ることができない月の代わりに、月の写真や、月見まんじゅう、月見バーガーなどが飛ぶように売れたが、本物が見られなくなっているので、だんだんとみんな、月見○○に興味を失くしていった。
そして、人々の月への関心がなくなり、長い年月が過ぎた。
月にインスピレーションを受けて歌を作ったり、絵を描いたりしていたアーティストたち、占い師などをはじめ、月を見られないことで生きる意欲をなくした人もいたし、彼らに同情する声も多く上がった。
でも日頃の生活で、月を見られなくて困ることはなかった。
困らないから、気にもしなくなった。
月を眺めること、月を歌うこと、月を描くことをしなくなった私たちは、遠く離れた月面で、ウサギたちが殺戮されていることも、月にあった山々が破壊されていることも、わからなかった。
月を見ても見なくても、自分の生活は変わらない。
他に見るものはたくさんあるから、そう考えるようになっていた私たちは、
ある日、月がなくなったことにも気づかなかった。
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お月見コンテストという企画を見つけ、2作めの小説をアップしてみました。
小学校の時、望遠鏡で初めて見た月は美しく、あのドキドキは今でも忘れられません。
なぜ月を見るのか考えた時、
お月見という言葉から、なんとなく見てしまうこともあれば、
目に入ったときに、思わず美しいと見入ってしまうこともある、
イベントとして、月見まんじゅう買って、肝心の月を眺めずに、まんじゅうだけ食べることもある・・などいろいろ思いが巡りました。
なぜ・・は、わからないけれど、
月を見て、ホッとしている自分。小学校の時のあの月が、ずっとあることに安心している自分がいるとあらためて気づきました。
見ても見なくても、生活は変わらないけれど、あることが大事なもの。心の支えになるもの。そうした自然や生命に感謝する日に、お月見がなってもいいのかなと・・・思っています。
読んでいただいた方、ありがとうございました。
それからイラストを使わせていただきましたMabuさま、ありがとうございます。