1974年春 岡山の西大寺のKさんちにぼくはやってきた この家のきょうだい、ともちゃんとひろしくんがピアノを習い始めたからだ お母さんはなかなか凝り性らしくて よくあるYAMAHAやカワイの黒いピアノじゃない、ぼくの飴色ボディが気に入ったみたいだ ともちゃんはディアパソンって読むん?なんでYAMAHAじゃないんだろう?と思ってたみたい 遠慮がちに弾くともちゃんとは対照的に ひろしくんは思い切りよくリズム良くぼくの鍵盤をたたく ふたりとも、ちゃんと毎日弾いてくれたよ 1976
昔から、他人によく声をかけられる。 道を歩いているときやローカル電車に乗っているときなんかに。 暇そうに見えるからかもしれないし 動作がのんびりしていて警戒オーラが出ていないから、というのもあるかもしれない。 明らかに宗教の勧誘や寄付のお願いのような類いは、やんわりとお断りをする。 アンケートのお願いなんかは、よほど急いでない限りだいたい協力する。 ウソみたいな話だが、電車のボックス席で向かい合ってしばらく会話したおばさんに「息子の嫁に」と言われて心底驚いたことがあった。そ
父は紀州、母は泉州の生まれ育ち。 わたしも紀の川のそばで生まれたのだけど、 父が転勤族だったから あちこち転居して、気がつけば北陸暮らしが人生の半分以上。 でも、ずっとずっと関西に住みたいと思ってきてて。 野球はタイガース、落語は上方、狂言は茂山千五郎家推し。 食べもんも関西の味が好きで。北陸の「甘い煮魚」にはいつまで経っても慣れなくて。 大学受験で関西に脱出するつもりが、「女の子が県外の大学に行くことない!」と言われ(その時点でのうちの経済状況も要因の一つだったけど、まあそ