6/19の頭のなかみ
日記をかこうと思う
書きたいことをつらつらと
そういうのもいいでしょ^ ^
今日は「真剣」について自分の中に気がつくことがあったので、それを。
真剣って良いイメージがある
そのはずだったけど、違うイメージにも気がついた、
真剣になっているのは、いい。
真剣になれるものがあるのも、ものすごくいい。
けど、真剣になればなるほど軽く考えられなくなって・・
なんていうか、固まってカチカチになってしまうことがある。
適当にできなくて、頑なになって、上手くいかなくなる。
今、旦那と一緒にインスタをやってる。
お互いに役割がちゃんとある
毎日作業も分担してるから、ちょっとした仕事のような感覚だ。
仕事と趣味のちょうど中間地点のような位置付けで、やり甲斐があるし、結果も見えるので2人で作るものとしての楽しみがある。
しかし、自分の真剣の量より、相手の量が上回ると、途端に責められてるように感じる瞬間がある。自分はこれくらいでいいと思っていても、そのわずかな怠惰を見透かされた時とか。
そういう時、真剣って嫌だなと思う。
「常により良き」を目指すとき、多くのものがそれに支配されて疲れる。
そういう責められる感覚も嫌だし、それを回避しようと余裕を残そうとする自分もあんまり好きじゃない。言い訳がましくなるから。
だから真剣って嫌なんだよ
フトそう浮かんだ
だけど本当にそうなのかな・・?
情熱的になれるものがあると、人生は豊だと思う。
熱中するものが欲しい
そういうものがある時、幸せだと思う。
でもそれって、真剣と何が違う?
同じ部類ではないのか??
真剣について、もっと多方向からの視点を作ること。
それが上手くいく決め手になるんじゃないかなと思った。
柔軟だけど、真剣な人。
楽しそうに突き詰めるものがある人。
色々内部の思考回路は分からないけど、硬そうではない真剣もありそうだ。
柔らかめな真剣
そういうものがあってもいい
真剣と熱中・・ちょっとしたニュアンスの違い程度なのかもしれないけど。
ちなみに、やってるインスタはこれ ↓↓
旦那の頭の中は、料理のことでいっぱい笑
しかし、これを取り上げられたら、それも困るしイヤだと言っている。
それも確かなことだと思う