[組織系ブログ Ver.15] 人によって解釈が 異なるのは 「推論のはしご」 を理解していないからなのかもしれない
「推論のはしご」
聞いたことはございますでしょうか?
僕は言葉自体の存在は知っておりましたが、先日初めて詳しく学びました。
学んでみて感じたのは、
ということでした。
冒頭で、細かいお話をしてもイメージがつかないかと思いますので、「推論のはしご」について個人的に解釈をした内容を本ブログに書きたいと思います。
0. 推論のはしご とは
こちらはワークで見せていただいたスライドです。
僕なりに解釈した内容を説明して参ります。
0-1. 現実にある数々の事実
僕ら人間は、1日と言う短い時間の中でも、無数の「情報(事実)」を得ます。
例えば、本ブログを執筆している時刻は7:45なのですが、僕は朝に娘と保育園に行きました。毎朝、雑貨屋さんが飼っている亀に娘が挨拶をして雑貨屋さんの主人と挨拶をして、保育園に行くと先生たち2名ほど挨拶をして、娘と同じクラスのお母さんと少し話をして、今オフィスに到着しました。そして当社メンバーの寳田さんと少し会話をしました。
家を出発してから今までの時間の中で5名の方と接しましたが、そこで得た数々の「事実(情報)」があります。おそらく明日の同じ類の情報を目にすることになるかと思います。
0-2. 認識した事実
前項で記載をした「数々の事実」の中で、「特定の認識した事実」が存在します。前項で説明をした僕の今朝の事実をもとに説明をすると、
という「事実(情報)」を僕は得ています。これは「今朝の15分ほどの時間」を切り抜いており、且つ「特定の認識した事実」に絞っているのにも関わらず、この3つの事実を僕は認識しています。つまり、現実にある数々の事実の中から、人間は無意識的に抜粋をして「特定の認識した事実」を切り抜いているのだと思います。
0-3. 解釈・意味付け
前項で記載をした「認識した事実」について、僕は勝手に「解釈」をします。前項で説明をした僕の今朝の事実をもとに説明をすると、
上記で太字にした部分、これは限りなく僕の勝手な「解釈」です。ただ、皆さんも日常生活で実感がありませんか?
例えば、
などと、皆さんも「解釈」をしているのではないでしょうか?ただ、この「解釈」ってなぜ起こるのでしょうか?そして人によって「解釈」の仕方が異なるものだったりするのです。
0-4. 前提
前項で事例ベースで説明をした箇条書きをした太字の部分は、「事実」に対して「解釈」をした部分を記載しました。
ただ、この「解釈」はどのように発生するのだと思いますか?例えば、
Yさんが真剣な顔をして黙りこくっていた場合、
この事例は、Yさんが「真剣の顔をして黙りこくっていた」という「事実(情報)」に対して、それぞれYさんの「解釈」をしています。
では、Aさん〜Eさんはなぜそれぞれこの「解釈」をしたのでしょうか?これはそれぞれの方々の「前提」が存在しています。
「前提」とは何か?
「この解釈をしたのはどのような原体験があったからなのか?」と考えると、少し答えが見えてきます。
例えば、山根の場合は
- 人に迷惑をかけてはならない
- 人にはまず何かを与えなければならない
という前提があります。ここでいうと前提=価値観に近しいかと思います。
上記の前提がある場合、僕はBさんに該当するのかなと思います。つまりYさんが真剣な顔をして黙りこくっていた場合は、「人に迷惑をかけてはならない」と勝手に解釈をしている可能性があります。
0-5. 結論
これはシンプルで、0-1〜0-4まで当事者が「事実」⇒「認識」⇒「解釈」をした内容をもとに「結論」を出します。
つまりアウトプットだとご理解いただければ良いかと思います。
0-6.信念・世界観
本項は「0-4. 前提」と近しい内容だと自己解釈をしています。
前述しましたが、山根の場合は、
- 人に迷惑をかけてはならない
- 人にはまず何かを与えなければならない
という前提があります。
ただ、この前提は何から生まれたのか?僕が個人的に思っているのは「両親」「祖母」の影響が大きいと感じています。
両親に特に言われたのは、
などで、祖母に言われたのは(言われた、というか祖母の行動で感化されていたのは)、
などでした。
つまり、僕の場合は上記が信念・世界観として土台形成をされている可能性があります。そのため、僕のNeedsは、「愛情」「おもいやり」「配慮/気遣い」「あたたかさ」などなのだと自己解釈をしています。これらが信念・世界観という類のイメージです。
0-7. 行動
これもシンプルで、0-1〜0-6まで当事者が「事実」⇒「認識」⇒「解釈」⇒「結論」を出した内容をもとに「行動」をします。
これもアウトプットですね。
という具合に、推論のはしごを個人的に解釈して説明してみました。
この「推論のはしご」を学んでみて気づいたことを記載してみたいと思います。
1. 推論のはしご を学んでみて気づいたこと
1-1. 僕らは限りなく限定的な事実(データ)を見て、人の解釈をしている
人間は誰しも、自分の目の前に起こっている事実(データ)が、紛れもない事実として解釈してしまう傾向があると思っています。ただ、たまたまその事実(データ)に直面をした可能性が高く、ほんの一部の事実(データ)で、人の解釈をしてしまっているのだと思っています。
本項については、僕も今までの人生を振り返ってみると、反省がたくさんあります。各メンバーの限りなく限定的な事実を見て解釈をしてしまっていたことは多数ありました。そして、2次情報として第三者から各メンバーの限定的な事実を聞いて、解釈をしてしまっていたことも多数ありました。まさに「群盲象を評す」に該当する事例だと思っておりますが、これは気をつけなくてはならないと思っています。
1-2. 全く同じ事実(データ)を見ても、人によって解釈の仕方が異なる
本ブログでも前述しましたが、同じ事実を異なる人が触れた場合、ビックリするくらい異なる解釈をします。それを表現しているのは7つの習慣のお姉さん・お婆さんの絵の話でしょうか。
また、これはいわゆる「認知の歪み」なのではないかと個人的には思っています。同じモノ/コト(事実)を見ているのに、解釈(これは認知と言い換えられるであろうか)の仕方が異なるのは、すごく近しい考えだと思います。
また、この「解釈」については、ポジティブ/ネガティブがあると思っています。人によってはポジティブに感じる、人によってはネガティブに感じる、などが発生します。これはどちらが良いというわけではなく、後述する「前提」が発生させているのであると感じています。
1-3. 全く同じ事実(データ)を見ても、人によって解釈の「尺度」が異なる
これもいわゆる「認知の歪み」 の中にある「過大/過少解釈」なのかもしれない。同じモノ/コト(事実)を見ているのに、人によってはその解釈を「強く」していることがある。「感情的に物事を判断してしまう」はこの類なのかな、という気づきがありました。
「過大/過少解釈」がネガティブというわけではありません。ただ人によって解釈の「尺度」が異なることを認識するだけでも、相互理解がしやすくなると感じています。
1-4. 解釈の「仕方」は「前提」が起因している
この解釈をしたのはどのような原体験があったからなのか?その前提があるはず。繰り返しになりますが、山根の場合は
- 人に迷惑をかけてはならない
- 人にはまず何かを与えなければならない
という前提があります。これはすなわち原体験と言えると思います。この前提をもとに人は解釈をしていることになり、この解釈の仕方は人間の人口の数だけ存在しているのだと感じています。
1-5. 前提の元に解釈をして「結論」を出す
突然ですが、下記3つの文章を比較してみましょう。
- 自分の前提(原体験)を元に結論を出している
- 自分が解釈して結論を出している
- 自分の目の前の事実(データ)を元に結論を出している
これらの文章は違和感がないかもしれませんが、太字(最下段)は少々「飛躍」しています。飛躍とはどうゆうことか?例えば「Aさんが誤った情報を周りに広めている」という事実があった場合に、
1. 悪意で誤った情報を広めたのかな
2. 誤った情報を広めたのは知識が不足していたのかな
3. 誤った情報を広めたのは知識の理解が誤っていたからなのかな
4. 知識があるが、表現を誤ったのかな
これらの「解釈」が存在しています。
この解釈はどのような前提が起因しているかというと、
1. 悪意で広めたのかな
1. 過去にSNSで自分の誤情報を流されたことがあった
2. 知識が不足していたのかな
1. 過去に誤った情報を悪気なくメンバーに共有していたことがあった
3. 知識の理解が誤っていたのかな
1. 過去に●●
4. 知識があるが、表現を誤ったのかな
1. 過去に●●
という具合だと思います。
話を戻すと、先ほど「飛躍」という表現をしました。前述した「太字」は飛躍をしています、という表現をしました。
ここでいう飛躍を比較しながら説明をすると、
「事実」⇒「結論」
「事実」⇒「解釈」⇒「結論」
「事実」⇒「解釈」⇒「前提」⇒「結論」
というパターンが存在します。ここでいう1と2が「飛躍」になります。
例えば、
これは推論のはしごにおける典型的な「飛躍」です。
限りなく限定的な「事実」をもとに、一気に「結論」を出しています。僕もよくやってしまいますが、気をつけなくてはなりません。
2. 自分の 推論のはしご を相手とすり合わせてみる
自分自身のある「行動」に対して、推論のはしごを適用してみるのも良いかと思うのですが、
周りのメンバー(相手)の「行動」に対して、推論のはしごを適用してみると、自分自身気づきが多くあります。
先日のワークで、相手の行動に対して推論のはしごを用いてみて気づいた点を下記したいと思います。
2-1. 限定的な事実(データ)について
これは強く感じました。
つまり、「何」の事実(データ)に対して、解釈をしたのか?ということ。その事実(データ)はものすごく限定的であり、おそらくその方の言動における0.1%程度に過ぎないと感じています。そのものすごく限定的な事実(データ)で、限定的な解釈をしていることを認識することが大事だと思っています。
皆さんも実感ありませんか?例えば、
Aさんがある行動をしていた。その行動=無責任であると考えた。それを飛躍させて「Aさんは無責任」というレッテルを貼った。
Bさんがピリピリしていた。その状況=怒りっぽい人だと考えた。それを飛躍させて「Bさんは怒りっぽい」というレッテルを貼った。
Cさんが楽しそうにしていた。その行動=いつでもゴキゲンな人だと考えた。それを飛躍させて「Cさんはいつでもゴキゲン」というレッテルを貼った。
このようなことって日常で発生していますよね。
2-2. 「解釈」には「種類」と「尺度」と「資産」が影響している。
本項は箇条書きで説明しようかと思います。
1. 「種類」とは
1. 端的に言うとポジティブ/ネガティブの種類。
2. 事実(データ)が「同じ」だとしても「解釈」の仕方が人それぞれである。
3. 同じモノ/コトを見たり聞いたりしても「異なる」解釈が生まれる。
4. この「異なる」=「種類」である。
2. 「尺度」とは
1. 端的に言うと解釈の「度合い」のこと。
2. 事実(データ)が「同じ」だとしても、10の重みでネガティブに捉える人もいるし、2の重みでネガティブに捉える人もいる。
3. 同じモノ/コトを見たり聞いたりしても解釈の「度合い(重み)」が異なる。
4. この「度合い(重み)」=「尺度」である。
3. 「資産」とは
1. 端的に言うと、当事者同士のこれまでの関係性における「信頼資産」のこと。
2. 事実(データ)が「同じ」だとしても、これまでの関係性における信頼資産の尺度によって、「解釈」の仕方が人それぞれである。
3. 同じモノ/コトを見たり聞いたりしても、そして解釈の「仕方」「尺度」が近しい(価値観が近いと言える)人同士だったとしても、その「人」に対しての解釈の「仕方」が異なる。
2-3. 「前提」はまさに「価値観」が起因していると思う
前項の 0-4と0-6に記載しましたが「前提」 ≒ 「価値観」だと思っています。
では「価値観」とは何か?これは2つの角度で説明をします。
2-3-1. 人としての上段の価値観
当社は「アッテル」という性格検査で価値観をある程度明瞭にしています。
👇 こちらがアッテルで計測できる「人としての価値観」
2-3-2. メンタルモデル
これは前項の「人としての上段の価値観」の一つ上の価値観だと感じています。そして、最も土台となる価値観は「メンタルモデル」だと感じています。
メンタルモデルについては下記ブログをご覧ください。
僕が今感じているのは、
という点になります。
3. 推論のはしご を学んでみた後日談
自分のある行動を 推論のはしご で当てはめてみると、さまざまな気づき/反省がありました。
その気づきと反省をもとに、「どのようなアクション」が好ましかったのか?などを振り返ると、下記のように整理できました。
これは組織ワークのファシリテーションをしてくださっている、江上さんとジュンさんという方から教えていただいた内容になりますが、個人的にすごく学びとなりました。
最後に
推論のはしご、いかがでしたでしょうか?
「今、一気にはしごを駆け上がったな」
という感覚を持てるようになってくると、この推論のはしごを理解したことになるのかなと個人的に思っています。
今後も組織ブログを書いていきたいと思っておりますので、皆さん引き続きよろしくお願い致します!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?