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便利が不便利。
よくADHDの頭の中は、同時にものが散乱している状態…みたいな図をTwitterでみかける。
ADHDあるあるを読んで、わかるわかる!と感じることが大半だけれど、ASD気味でもある私は潔癖なので遅刻したりもしないし、あまりそこの不便は感じないでいたけれど、私の場合、意外なところに結びつき、不便を感じた。
私は、大人になってから、気がづくと、自分の呼吸が浅いな…と感じることが格段に増えた。
なんか意識するとドキドキして余計に苦しくなってくるというか。それで忘れよう、他のことを考えよう、って自分を制していると、いつの間にかその息苦しさがなくなっている。というループ。
それが、最近、家でくつろいでいるときも、起こるのだ。
先日、鍼治療に行った時、必ずいつも聞かれる「最近の体調の変化」で、なにげなくそれを先生に伝えると、驚きの回答。
「軽い過呼吸だから、心落ち着ける環境づくりをしてね。」
衝撃だった。
精神病み病み絶不調のときでも、倒れたり、過呼吸になったり、周りにも自分にも分かりやすくSOSが出なかった私がまさかの過呼吸。
昨年、今までの無理だなと思う環境から離れ、今は自分が楽しいと思うことをしているのに。何故。
前から心配性ではあったが最近ふとした瞬間、ドキドキが止まらない。
今日も、その“ヤツ“がやってきて、家以外寛げるとこってどこよ!?と思っていたのだけれど、いてもたってもいられないので、とりあえず、ケータイを持たず飽和しようと近所のデニーズに。
なぜ、ケータイをもたないかというと、ケータイがあると、あれ調べなきゃ、いきたかったここっていつやってるんだろう。〇〇ちゃんから連絡来ちゃった。かえさなきゃ。とタスクに追われて、しまうから。
注文をして待っている間も、おなかがいっぱいになって考え事をしている時も。あ、とケータイを探すことが10回くらいあった。
ああ、ケータイがないと、私は何もできないんだ。と落胆しながら、時間を過ごす方法を考えた。
相変わらず、いろんなことが頭にめぐるのだけど、もうここには調べる術も質問する相手もいないので、一つ一つ自問自答を繰り返した。
具体的、脳内で行われていたことをいうと、
ケータイがある時は、
〇〇やらなきゃな。でもやるきでない→謎にTwitterで気を紛らわせる
だったのが、
〇〇やらなきゃな。でもやるきでない→なんで私はもやついてるの?→それは〇〇が原因→過去のこう言う経験が気になってるからじゃない?→それを解決するには?
と、自分のことを気にしてあげられるではないですか。
最近の私は、鍼治療にもいて、食事も運動も気をつけて、しっかり寝て、ご自愛してるな。
と思っていたが、全然まだまだだった。
便利なツールがあることで、それに依存し、自分のモヤモヤを突き止められずに、1番寛げる家で、過呼吸寸前になっていたのだから。なんとも自分が情けない。そして自分ごめんね。と。
今日締め切りのやり残した仕事があって、多少その不安がよぎったが、
また家に帰ってもきっと良い記事が書けないと思い、散歩して、近所の銭湯で熱い湯につかり、ぼーっとした。
いま、家に帰って、最近パソコンに文字打つことが億劫になっていたのに、こうやって元気に書いている。
よく、ADHDの人は、スマホという優秀なツールにひとまとめにして、最大限に活用すべき、なんて記事やyoutubeをみるけど、私の場合は、それが大きな穴だったみたいだ。
ADHDの服薬治療を拒否して、心療内科似通うのをやめてから、3ヶ月。
自分のことは自分で、観察していこうと決めたけれど発達を自己理解する道はまだまだ長い。