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Twitterという「分断」可視化装置
あけましておめでとうございます。
年末年始と、暇にかまけて相変わらずTwitterにかじりついてしまっています。
良くない良くないと思いつつ、つい反応が気になって見てしまう…
Twitterという仕組みはもう、脳の快楽中枢にダイレクトに働きかけられるので正直抗うのはかなり難しい。
自分の興味のある分野のあらゆる情報が、摂取しやすい短文と画像で高速で流れてくる。
自分の投稿した内容に、知らない人達から光の速さで反応が来る。イイね!って本当に思われてるかはさておき、イイね!ってしてもらえる。
けれど時おり他人からのノイズや、無理解による誹謗中傷などに突然晒されることもある。
それに反論することもあるが、まともな対話になったことはない。
そもそも共通言語が違うから。。。
観賞魚好きの私の言葉で言うと、生息域が違う。
鯵にヒラメのような生き方を理解しろったって無理だ。ビル・ゲイツと、マグロ一本釣漁師さんが同じ問題意識を持っているわけがない。(たまにそういう奇跡もあるかもしれない)
良い悪い、どちらが優れているかというわけでもなく、人それぞれ考えている次元が違うし、もしそれが専門分野なら尚更。
でも、そんな違いは無視されて全員がフラットである状態に晒されてしまうのがTwitterである。
そのような混沌からクリエーションが生まれることもあるかもしれないが、汚れた用水路をかき混ぜても底の泥が舞い上がってますます汚くなるだけ、という状況が散見される。というかほとんどはそうなってる。
それでもたまに全然思ってもみない方向から、ぴん斗さんの投稿面白いです!と言ってもらえることもある。
趣味嗜好がそこまで被っていると思えない人からも楽しんでもらえたり、逆にある程度親しいと思っていた人が急に疎遠になったり。
このコロナ禍をきっかけに、オンライン上の繋がりはますます人々の人生において比重が増してきている。SNSツールをどのように使うかは、「表に出る仕事」をしている人以外も、あらゆる職業の人にとって重要な課題だ。
今後自分のSNSをどのように運営していくか、悩ましく思っている。
自分は実際の知人とだけ繋がるアカウントと、一応匿名であらゆる事象について呟き散らかすアカウントを使い分けているが、人によってはさらに創作物の発信用アカウント、とにかく愚痴を吐き出すアカウントと、色々使い分けている人もいるだろう。
自分も思ったことをなかなかすぐ感情のまま直接人にぶつけることが苦手なので、どうしてもTwitterに逃げてしまう。しかしそのTwitterでもある程度閲覧する皆さんが気分を害さない程度に留めておこうと気はつけているので、100%の本音ではないこともある。
まずは自分専用のHPなどでまとまった表現をしよう。そして本当に自分と繋がりたいと思ってくれてる人と濃く繋がれる仕組みを作ろうか。
裾野はとりあえず広げてはおくが、ちゃんと回収もしたい。
繋がらなければ良かった、なんて思いたくはない。
地球の思惑はどうかわからないが、少なくとも人間から見た世界は、少しずつ良くなっていっているはずだ。