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人の壁 【エッセイ】

高校生に向けて書いたエッセイです。実際に、教室に掲示しています。


 人と人の間には必ず壁があると思う。アクリル板とかそういうことではなくて、距離感のお話です。その壁の厚さは人によってさまざまで、障子くらい薄かったり、ベルリンかよ!ってくらい厚かったりする。ちなみに僕はというと、水族館の水槽くらい。薄いように見えて、意外と厚い。この壁の厄介なところは目に見えないということだ。もちろん触れもしない。だから、この壁に気づかずにドンっとぶつかってケガをしたり、知らぬ間に壊してしまったりする。この感覚、分かってもらえるだろうか。人間関係のトラブルを考えるうえで、この壁の存在は知っておいた方がいいような気がする。

 では、どうしたらこの壁の向こうへ行けるのか。その人の敷地内へお邪魔できるのか。その答えはいたってシンプルで、ピンポン押してドアから入ればいいだけなのだ。人の家に入るときに窓から入ったり、壁を破壊して入ったりする人なんていない。そんなの不法侵入者だけだ。こんなこと誰しも知っているはず。それなのに、見えない壁を無理やり超えようとする輩がいるのが現状なのだ。高校生に限らず、どこにだってそういう人はいます。そういう人たちを更生させるのは非常に難しいし、はっきり言えば無理だ。これは諦めよう。ただ、せめて自分だけでもこういった不法侵入者にならないように気をつけていこう。

 先ほど、「ピンポン押して、ドアから入ればいい」と書いたが、こんなに分かりやすく心のドアを設置している人なんてそうそういない。さすがにセキュリティーが甘すぎる。多くの人は壁同様ドアも見えないようになっている。そう、開ける以前にドアを見つけるところからスタートしなくてはならない。つまり、表札が掲げてある住宅街ではなく、次のステージへの入り口がどこだか分らないRPGの世界観を想像してほしい。

 RPGの場合、どのようにしてドアを見つけて開くのだろうか。作品にもよるが、レベルを上げて、コインを集め、アイテムを買い、場合によっては敵を倒し、またレベルを上げ、やっとの思いで開くはずだ。間違ってもドアの前でAボタンを押すだけで次のステージに行くなんてことはない。なんだそのゲームは。ドアを開け続けるだけのクソゲーじゃないか。こういうことになる。ということで、ドアを見つけて開くということは大変な労力と時間を使うわけだ。だから、ゲームは楽しい。この過程をすっ飛ばしてクリアしようとしている人は実に面白くない。

 実際、こんなことがあった。学生時代、そう仲良くもない、まだドアさえ見せていない程度の人に「あ、ポテじゃん。ノート貸してよ?」と言われた。「あ、ポテじゃん。」のあとにそのまま続く「ノート貸してよ?」。文脈として、あまりにもつながっていない。その度に僕は「おいおい、レベルまだまだ足りてないぞ。コインもスターもバッジも集めていないじゃないか。はい、GAME OVER。」と心の中でつぶやいていた。僕には、まだドアさえ見せていないはずの他人が勝手にリビングでTVつけているくらい無礼な行為に見えた。そして、その図々しさに若干引いた。

 少し考えてみてほしい。見えない壁を意識できていますか。気づかずにケガしたり、壊したりしていませんか。プレイ時間1分でドアを開けようとしていませんか。初めて恋人の家にお邪魔するような、あの緊張感と丁寧さが心のドアを開くカギなのかもしれない。


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