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個人的コメ騒動。常識を超えろ。NO,Limit!【現役高校教員のエッセイ】
高校生に向けたエッセイです。実際に、教室に掲示しています。
「令和のコメ騒動」
2024年の流行語大賞にノミネートされたワードである。
実際、お米の値段は倍近く値上がり、スーパーに行ってもお米のコーナーはすっからかん。我が家は冷凍うどん中心の生活を余儀なくされた。
これはいったい何だったのか。
実はよく分かっていなかったので、調べてみた。
どうやら、昨年産のコメが猛暑による被害を受け精米にする際の歩留まりが低下していることや、インバウンドなどにより消費が増加していることが原因らしい。
さらに、より根本的な問題は、減反政策によって予想される需要ギリギリの生産しかしていないことにある。
ということであった。後半難しかったので、きちんと理解できていない気もするが、とにかく複数の要因が重なって起きた複雑な問題だったということは分かった。
そして、毎日お米を食べるということは、決して当たり前のことではないということも分かった。
さて、令和のコメ騒動のことは置いといて、個人的コメ騒動について話をしたい。
まず、通常時のスーパーのお米コーナーをのぞいてみると、サイズごとにお米が並べられている。
だいたい2kg・5kg・10kg、小・中・大に分けて置かれている。
2・5・10。
なんとなく、この並びは気持ちがいい。
その中でも、我が家では5kgのものを買うようにしている。
2kgだと頻繁に買いに行く必要があるし、10kgだと食べ終わるまでに時間がかかってしまい、鮮度が落ちてしまうような気がするからだ。
味の違いなんて分かるわけもないのに。
そして、5kgのお米を使い切るたびに、また5kgのお米を買ってくる。
ちなみに、お米の銘柄は決まっておらず、値段やらパッケージやらを見て、その場の思いつきで買うお米を決める。
無論、味の違いが分からないからだ。
ある日、以前食べていたお米から、新しく買ってきたお米に切り替えるときがやってきた。
便宜上、以前食べていたお米を「旧米」、
新しく買ってきたお米を「新米」
と呼ぶことにする。
この切り替えのタイミングで、いつも同じ問題が起こる。
旧米をぴったり使い切ることができないということだ。
なぜか毎回、微妙に余る。この余った旧米、みなさんはどうしてますか?
では、案1。
その余った微量の旧米だけを炊いて消費する。
仏壇にお供えするのであれば、ちょうどいい量かもしれない。
しかし、そのためだけに炊くのは、あまり現実的ではない。
次に、案2。
お米が微妙に余ってしまう前に、旧米だけで炊ききってしまう。
たとえば、旧米を2合炊こうとしていたところに、追加で微量の旧米を無理やり入れてしまう。しかし、そのためには、その微量の旧米が0.何合なのか量る必要がある。
さらに、それに合わせて水の分量も計算して調節しなければならない。
小数点が出てきた時点で、あまり現実的ではない。
最後に、案3。
残った微量の旧米に、新米を追加して、1合なり2合を炊く。
旧米と新米が同じ釜に入り、夢の新旧共演を果たすことになる。
この案3が、考えうる中では最も現実的だと思う。
実際、僕もそうしている。
しかし、僕はこの新旧共演がなんか苦手だ。これは決して、旧米と新米が混ざることで、ご飯の一体感がなくなり、香りや食感にバラつきが出てしまうじゃないか、ということではない。
だって、味の違いが分からないのだから。
では、なぜ、苦手なのか。
感覚的な理由になってしまうが、世界観が違うもの同士が無理やり共演させられている感じが、どうしても気持ち悪いからである。
たとえば、映画「スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホーム」では、新旧スパイダーマンが3人共演することになった。
本来会うことのない別作品の主人公3人(トビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールド、トム・ホランド)が、マルチバースがどうとかいう理由で、一つの世界線に集められた。
興奮はしたが、個人的にはコレじゃない感があった。
漫画「ドラゴンボール」の世界にDr.スランプ、アラレちゃんが登場した時もそうだった。
あんなにカッコよかった筋斗雲のスピードに、アラレちゃんはキーンと走るだけで追いつき、あんなにカッコよかったかめはめ波に対抗して、アラレちゃんは口から「んちゃ~!」と光線を出した。
鳥山先生のファンは興奮したのかもしれないが、バトル漫画に突如現れた、コミカル満開のアラレちゃんの空気の読めなさ、あまりの世界観のギャップに子供ながら戸惑った。
そんな世界観のギャップを勝手に想像してしまうため、お米の新旧共演がなんか苦手だ。
ここまで、微量残ったお米をどう消費するのかを考えてきたが、もっと根本的な問題に目を向けよう。
なぜ、微量残ってしまうのか。
そこからだろ。
そこには、数字のトリックが隠されていた。お米の重さは、1合で150gらしい。
ということは、2合で300g。うん。
10合で1.5kg。ほぉ。
20合で3kg。おぉっ。
うわ、そういうことだったのか。
やばい、気づいた!そうか、だからか!
お米って、3の倍数じゃないと使い切れないんだ!
つまり、3・6・9kgじゃないと、きっちり使い切ることができないんだ!
これはキタぞ!!
我々は、2・5・10の気持ち良さに酔いしれ、騙されていただけだ。
気持ち悪さにあらがって、お米は3・6・9kgで売らんかいっ!
常識を超えろ。No Limit!
とはいえ、日本のコメ業界を揺るがすこの事実を、僕が世間に暴露していいのだろうか。
このままの世界で、どうにか解決できないか。
ここで、朗報!業務スーパーに行けば、15kgのお米が買えるらしい。
おぉ、3の倍数だ!解決!
いや…でも、15kgかぁ…。鮮度が…。
なんて。味の違いなんて分かるはずもないのに。
限界を超えろ。No Limit!
最後まで読んでいただき、、ありがとうございます。