たまに思うこと
こんばんは。
ぽてです。
こんな時間に何やってるんやら。
お肌に悪いよ!!!!大敵!ゴールデンタイムは!!逃すな!絶対!
わかってます。お腹が空いていることも。
いやでも~、最近は12時くらいに寝てるし、なんて言い訳でもつけておきましょうかね。
さっき思ったことなんですが、課題をやってた時に、謎に頭の回転が速くてびっくりした私がいました。
で、これで思ったんですけど、やっぱり考えているときって、こうだからこう!っていう答えが早くでる気がするんですよね、頭の細胞使ってるからかなぁ~?
こんな自分も素敵💛なんて思ったりしてww でも、アホなんですよね
考え方がちっぽけというか、柔軟性ないというか、、、。「アホ」という言葉に込められている意味ってたくさんあると思うのですが、脳みそ足りてないかいうレベルではなく、脳みそはあるけど、うにゃうにゃの線が入ってないですよくらい。わからねぇ、これww 言語化って難しいですよね。あ、あとは発想性もかけてると思います、理解力も乏しいし、、、
なんて、弱気にはなってませんけどね。むしろ、そこが自分の強みだと思っております。
ここで一つ素朴な質問。自分に対して。
「違う」ってなんですか。
とある本には、国家のもとで暮らす農耕民が、国家を持たない狩猟採集民族に対して、違う種類の人間とみなしていたと記述があったんですね。
まあ、さっき終わらせてきた課題のことなんですけどねw
私の記述として
以上の思考は、文化人類学でよく出てくる自文化中心主義の象徴であるなと思った。私は文化人類学に出会うまで、偏見や傾向でその人物を捉えていた。いわゆる決めつけである。自分と馬が合わない人は、その人が~だからだと勝手に決めつけて、自分勝手に人を判断していた。今だから分かること(100%ではない)だが、これは周りの環境(主に家族)からの影響であることに気づいた。気づくというのも、文化人類学を学ぶにつれ、こういう人間もいるんだ~と自分の頭の中の人間という認識領域が大きくなっていったと思う。自分の考え方に気づくことができるのも、他の集団がいるおかげでできることであり、もし相手が誰もいないとすれば、生きていて何も刺激がなく、面白くないと思う。逆に、私たちは同じ種類の人間ですねと認識すると、相手のコミュニティに溶け込んで、自分というアイデンティティをなくしてしまうと思う。「違う」と思うことで自己を確立させる、いや、自己があるから「違う」と思うのか、どちらでもいいが、人間が個人個人の自己を持っている限り、自文化中心的な考えは避けられないと思う。
かたいですかね、、。私の書き方、というか言い方はとても話し口調に似てるので、少々言い換えが甘い部分があると思います。はずかしい!!
そうこう考えているうちに1h30mが経っていて、本当にびびりました。一枚のレポート書くのにこんなに時間費やしたのかよ!
はあー、いつもこの時間は疲れるなあ。
ゆっくり休んで、明日は美味しい食べ物食べよっと!
最近は口が物寂しいので、質で満たしてます。
お供は、ミネラルウォーター。水でなかったら、味ついてるジュースとかあんんまり飲めんなった。
大人、階段。上る。おやすみなさい。