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Creative Life Presentation _May 2022

元々、社内だけのイベントコンテンツだったプレゼンテーション企画。 この企画の目的は、 ということ。 例えるならば、 文章を書くのがものすごく苦手な人が、一晩かけて一生懸命書いた下手くそで不恰好な手紙には、起承転結もなく、文法もぐちゃぐちゃで、テクニックがなかったとしても、まるで「心」が宿っているかのように、何とも言えない感動を覚えることがある。 そんなものです。 プレゼンターは、 何度も自分自身を振り返り、自分がどんな人間であるか、 どんな起源(種)があって、なぜ今こん

    • 計算機は計画的ではなく、結果から演算法則に収束する。

      年初めに、何を感じるかを言葉に落とすということを続けていると、年末あたりから潜在意識が準備を始めるのがわかる。 ただ、昨年に引き続き、あまり年末年始を感じることが少なかったように思う。 今年は温めてきたことが形となって現れてくる年になると、神社暦に書いてあった。 そしてそれをそのまま鵜呑みにして、後は準備してきたことに紐づけて、いいように捉える、というような都合のいい解釈を毎年している。 大凶のときは、自分以外の人にお願いする、みたいな。 そういえば、昨年年初めにTVチュ

      • 組織というチームにおけるダイバーシティと仲間意識。そして組織を超えた繋がりと独立性。

        多様な価値観が許容されるようになった社会。と言う前提。 てことは、働くための選択肢=職種が増え続けているのか?と思って調べてみた。 厚生労働省編職業分類2011年改訂版 17,209種 らしい。 うん。多いのか少ないのかわかんないな。 無理やり人口比率で考えてみると、1職種あたり7,000人くらい。 んーさらにわからん。 で、現代は多様になってきた、と謳い文句のように聞くし、僕自身も肌感でなんとなく話してきて、生き方が多様してきたんじゃないか、なんてことを思っていたか

        • 年末を感じずに寝入って起きた元旦と、さんまさんの言葉とクリエイティブ /365

          実感もなく、今日が何曜日なのかもはっきりしない中で、なんでだろうとイオンモールを歩いていたら、福袋やらしめ縄やら休み感を纏った家族やら、確かにそこには元旦があった。 年末から元旦にかけて、実感がない年越しとなったことについて考えてみた。 逆に、これまでどうして年末感や年始感を感じてきたんだろうかということから始めてみると、意外と答えは簡単だった。 それは、効率的じゃない儀式的なアクションとセッションの喪失だった。 2020年はコロナ禍によって、普段と違う流れ方をした。

        • Creative Life Presentation _May 2022

        • 計算機は計画的ではなく、結果から演算法則に収束する。

        • 組織というチームにおけるダイバーシティと仲間意識。そして組織を超えた繋がりと独立性。

        • 年末を感じずに寝入って起きた元旦と、さんまさんの言葉とクリエイティブ /365

          誰かの話にある違和感の正体。

          ここ数ヶ月感じていた違和感。その正体が輪郭を帯びてきたので書き出そうと思う。 少しずつではあるが、イベントがwebとリアルの同時開催へと移り変わる中で、招待されたりオブザーバー的な位置での参加を求めらることが増えてきた。 そんな中で感じて来た違和感。 参加した会合自体の趣旨目的はそれぞれ異なるけれど、同じ違和感を感じることがある。 時間が進むにつれて胃の中から何かが込み上げてきて、吐き気に近いものを感じ、体中がむず痒く、息苦しくて、たまらず眉間に皺を寄せ、深く呼吸をしながら

          誰かの話にある違和感の正体。

          コミュニティという日常に、お祭りという非日常体験を

          コロナによって行動が制限されて、売上利益を除いて困ったことといえば、リアルイベントが開催できないことだった。 会社を始めて6年。 強い個がシナプスのように繋がっていくようなチームでありたくて、共有価値を感じるためのリアルイベントは外せなかったし、事業継続の危機やどんな多忙の中でも、カンファレンスやBBQ、滝行やお参り、ゲーム大会などなど、最低でも1年で5回以上のリアルイベントを開催してきた。 というか、毎回変わるがわる運営メンバーになった人たちのアイデアと尽力によって形を成

          コミュニティという日常に、お祭りという非日常体験を