太陽みたいな保育士さんとの対話
昨日会った元保育士の方は太陽みたいな人でね
話したら明るい人柄がすぐわかるんだけれど、それだけじゃなくて、人のことを受け止める広い心と、熱い魂があって、なおかつ自分が我慢することはなく言うことは言う強さをもっているんだ
人の少し尖った言葉も、一つの意見としてまずは受け入れてくれる
そのうえで私はこう考えるよと伝えようとする
私が大切にしている対話の在り方と共鳴する部分がたくさんあったよ
私は抑圧された環境の中で自己対話を繰り返して、今やっと自由になれたと感じているけれど、彼女はある意味すごく温かく、素直に育ってきたんだろうなあって感じたよ
私も人当たりはいい方だと思うんだけれど、心の中の反逆心がにじみ出ちゃうときがあるんだよね笑
最近はだいぶ悟って?きたから怒りは本当になくなって、ときどき悲しくて、ときどき熱くなっちゃうけれど、それでも落ち着いてきたように思うけれどさ
彼女はずっと穏やかに温かいんだよね
あれは自分には真似できないなあと思うよ
真似する必要もないんだけれどね
全然違う道を歩んできた2人なのに、教育や保育という似た領域に情熱と誇りをもっていて、響きあえたのは本当に学びがあったし楽しかったよ
彼女のすごいところはいっぱいあってね
どんなに小さな子でも「子ども扱い」しない尊さを感じたよ
小さな子どもでまだ知らないことがいろいろあるからこそ
それは何でだと思う?
と問う姿勢には本当に感動した
子ども達自身に選択肢を与え、考えさせ、決断させる
そうすることで子ども達の思考力はぐんぐん伸びると思うんだ
そしてそれが本当に自然である意味先生らしくないところが彼女の素晴らしいところ!
本当に正直に
今は先生同士で話しているからちょっと待っていてね、後で必ず話を聞くからね
と小さな子どもだからと特別扱いしない
そして本当に後でじっくり話を聞いてあげる
外遊びがしたい子と中遊びがしたい子がいたらどちらの選択肢も用意して選ばせてあげる
途中で1回だけ移動する機会を用意するけれど、それを選択するのも子どもに委ねる
大人だって子どもだってパーソナルゾーンがあること
いくら先生だって触られて嫌だったら言ってね
と子ども達に伝えてあげる
男女の着替えは部屋を分けることはできないけれど、部屋の中で男女に分かれてさっとパンツを履き替えることをそれとなく教えてあげる
それだけじゃない
子どもが何かに悩んでいるとき、先生に相談してきたとき
一番〇〇が得意そうな友達は誰だろう?
〇〇くんか
じゃ一緒に聞きに行ってみようか
と子ども達同士で進んで協力する姿勢をサラリと教えている
次第に子ども達は自分で友達と協力できるようになる
小学校でも「ミニ先生」は私もよくやっていた
できるようになった子がどんどん先生になって他の子に教えてあげるんだ
教えることも大きな学びだ
けれど、毎日毎日毎日止めてはいけないカリキュラムをこなすために、どうしても教え込まなくちゃ間に合わない
そして置いてけぼりを喰らった子は一生ついていけない
みんなカリキュラムについていくのに必死で友達を助けるどころではない
私に力がなかっただけなんだとも思う
でも初任なんてみんな力がないよ
私から見えたそんな風景は学校の日常で
それが本当に心苦しかった
彼女の話に戻るね
子どもたちは先生のことが大好きだからいつだって全力で遊んでいるだけなんだろうけれど、その中でいっぱい考えるだろうし、次第に自分たちで何でもできるようになっていったんだろうな
彼女は子ども達から
先生は大人になったら何になるの?
と聞かれたらしい笑
子ども達にとっては彼女は「先生」じゃなくて、一緒に遊んでいる、一緒に学んでいる仲間に思えたのかもしれないね
私自身強くそう思うし、大学の恩師が言っていた言葉で今も覚えているけれど
保育や幼稚園は小〜高校と比べると決まったカリキュラムがない
それが故に教員の裁量もすごく大きくて、そこにはとんでもない専門性があるんだ
という話をしていたんだ
彼女の話を聞くと、本当にその専門性を発揮して、子どもの可能性をぐんぐん伸ばしていたんだなと心が熱くなったよ
それと同時に、小〜高校は別の価値観があるのはわかっているけれど、そうではない先生方がいっぱいいるのも知っているけれど、そのシステムが故に、その子どもの可能性、自主性、考える力、相談する力をどんどん奪ってしまう側面はあるだろうなと悲しくなったよ
彼女は保育を天職だと言っていた
私も本当にそうなんだろうなと思ったよ
彼女は本当に自分の仕事を楽しんで、その中でどんどん欲張りにもっと良くする方法をどんどん実践してきたんだ
周りからは
こんなにできてすごい!
って思われただろうけれど、彼女にとってはただただ楽しくて続けているだけなんだろうね
それは私が教員時代に苦しみ続けたのとは真逆だけれど、今の旅に向けてワクワクしている自分の心とはリンクする気がする
彼女の情熱と理想は一つの園にとどまりきらない
彼女は5年間の教員生活の中で、自分で選択して2つの異なる園を経験したんだって
園によって違うであろう教育を経験するために
辛くてやめてしまう人はいるけれど、天職とまで言える仕事なのに自分から進んで環境を変える勇気はすごいよ
そして長く勤めることでしか得られない経験もあると思うけれども、私は環境を変えて学ぶ決断をしたという姿勢も本当に素晴らしい
この地、トロントで私たちが出会ったのも奇跡みたいなもので、かつ必然のようにも思えるんだ
彼女はオランダのモンテッソーリ教育に興味があるんだって
いずれそこで学びたいけれど、もう一カ国経由することでより多角的に物事を見れるということがトロントに来た理由でもあるらしいんだ
その考えの深さに感動しちゃったよ
私はあまり優秀な大学生ではなかったし、文献にあたるよりも自分の実践から学ぶ方が圧倒的に好きなタイプだから教育学の知識は深くないのだけれど、モンテッソーリ教育はわかる
イタリア発祥で子どもの自主系に重きを置きながらも体系化された教育として世界中で今でも多く実践されている
調べてみると
オランダは移民国家であること
モンテッソーリ自身がオランダに渡っていること
モンテッソーリ教育の本部?がオランダにあること 公立学校にもモンテッソーリ教育を取り入れている学校が相当数あるということ
モンテッソーリ教育では幼児教育がメインとされることが多いけれど、オランダではそれが中等教育にまで発展していること
がわかった
彼女曰く、子ども達一人一人が自分でカリキュラムを決めて実践していく、たまにクラス全員で一緒にやる活動があるという感じらしい
彼女はその教育にとても興味があって、日本に帰国して貯金をしたあとはオランダに旅立ちたいんだって
私達は、トロントの日本語学校ボランティアで知り合ったんだけれど
彼女は、週1回のその活動や彼女が今仕事でしているナニー(ベビーシッター)の活動を通して、トロントの教育の在り方や保護者の考えも知れてよかったと言っていた
カナダやアメリカではシッターを雇うことがお金を持っているかに関わらず普通のことらしい
日本ほど「女性は家庭」という像がなくて、両働きの家庭が多いからだろうというのが私の見立てだったけれど、彼女曰くシッターの捉え方も大きく違うらしい
こちらの家族は人に頼るところは思いっきり頼る姿勢があるんだって
家事とかそういうことを任せれば、子どもとの時間をもっと取れるから
そういう捉え方をしているらしい
これには
なるほどなあ
と思わされたよ
日本は一人で頑張ることが美徳とされすぎているところがあるなと感じる
誰かに頼ると、一人でやらないなんて愛情がないと指をさされる文化というか
みんながみんなそうではないのはもちろんわかるんだけれど、それに苦しんでいる人、気づかぬうちに苦しくなっている人は少なくないと思う
みんなが辛さを背負い込んで、頑張っているんだけれど、助けてと言えなくて
結果的に大切な人や助け合う仲間であるべき人にまで冷たく当たってしまう
学校でモンスターペアレンツ何て言われてしまうのも
私自身もたくさん経験したけれど
声にならないSOSなんだなと本当に思うよ
本当はみんなで支え合えればいいのにね
そしてその自分から助けを求められないのは、やっぱり教育がそれを育んでこれなかったという責任の一端はあると思うよ
話がいろいろぶれてしまったけれども
私と彼女が深く共鳴して
たくさん語り合ったのが解ったでしょ?
彼女と出会えて本当によかったと思う
一緒にいた時間は短いけれど
また会おうと言ったものの、次はもう別々の国にいるかもしれないけれど
同じハートをもつ仲間として忘れないし、しばらくしたら新しく何を学んだかまた聞いてみたいし、困ったことがあったら相談したいと思える友達になれたと思う
ああいい夜だった
これだから旅はやめられないよなあ笑
PostScript…
後日彼女と話したら
彼女は自分を「月」だと思っているんだって
月って夜の寂しさを優しく照らしてくれて温かい
みんなの不安を和らげてくれる拠り所だと思う
太陽の光を、他の人の光を、優しく照らし返してくれるんだよね
彼女は
私が太陽に見えたのなら、それはKazuこそが太陽で、あの瞬間私を照らしてくれたから輝いてたんだよ
って言ってくれたんだ
褒め上手か!
私はたまに暑苦しすぎる太陽になっちゃうから
そんなときは
もう少し曇ってくれ〜
って思われそうだよ笑
彼女は確かに月かもしれない
その月は今までいろいろな人の光を浴びてきて、それを吸収して、だからこそ自分自身が既にピカピカに輝いているんだろうなと思ったよ