自分はそうは思いません。
他人から「これ好きそうだから」と言われてなにかをすすめられるのが嫌だった。
「この本好きそう」とか「このドラマ好きそう」とかそういうの。
私のなにを知ってるの?決めつけないでよ。と思っていた。
だから私は「あなたが好きそうだから」と言って人になにかをすすめることはしてない(と思う)。
そもそも、すすめること自体に抵抗があるし。
どうして「好きそう」と言われるのが嫌なのか?
それは「私がなりたい自分」と「他人から見えている自分」のギャップを知って落ち込みたくないということなのかもしれない。
でも最近はなんだか少しずつ「〇〇が好きそう」と言われることに慣れてきた。
「私はそうは思わない」
これを心のなかで言えるようになってきた。
他人から見た自分も自分なんだと思う。
だけど決めるのは自分だ。
だから「あなたってこういう人だよね」と決めつけられても、傷つく必要はない。
他人に言われて「たしかにそうだな。こういうとこ嫌だな」と自分でも思ったなら、なにか始めてみたらいい。
なにを始めたらいいのかは、自分で、じっくりと考える。
どうやったら自分の嫌いなところを直せるのか。そもそも直す必要があるのか。なにを始めようか。それともなにかをやめようか。
はやく答えを出そうと焦らない。むしろ答えなんてないかもしれない。
上手くやる必要もない。誰にも、ネットにも、なににも頼らずに1人でじっくりと考える。それだけはサボらずにやっていく。
傷つきそうになったときの合言葉は
そう、あれです。
「自分はそうは思いません!」
最近なぜか夢にあばれる君が出てきて、それ以来あばれる君が気になって仕方ない私だったのでした(youtube面白かった〜)。