❁檻入り娘の生い立ち
私の生い立ちを少し。
私は一般家庭の、長女として生まれました。
神経質な母親と。
無関心の父親。
父は、あまり家庭に興味が無いひとでした。
一緒に遊んだ記憶がありません。
後から知った話ですが、本当は「男の子」が欲しかったんだとか。
母は、関西出身で、ノリや他人との付き合いこそ明るいけれど、世間の体裁を気にするような、そんなひとでした。
家庭に無関心な父に代わり、母が一生懸命1人で私を育てようと、少し虐待まがいのこともされました。
「まがい」と表現するのは、私自身どこまでが躾で、どこからが虐待と言っていいのかわからないからです。
「それは躾のうちなのよ」と言われれば、あぁそうなのかも、と思えるくらい。
叩くのは当たり前。
たまに、紐で縛られる。
縛られたまま、押し入れに閉じ込められる。
縛られたまま、暗い部屋に置き去りにされる。
縛られたまま、暗い部屋に置き去りにされた時はまだ3歳とか、そんな歳だったと思います。
泣きながら、さながら虫のように這って、それでも出来るだけ明るい光の方へ進みました。
明るい部屋では、父が仕事から帰って来ており、母と談笑しながら食卓についていました。
ふと私のことが視界に入った母は、
「イモムシみたい」
と笑ました。
今でも覚えています。
とても、とても悲しかった。
それでも、父は私に無関心なので、私の拠り所は母しか居ませんでした。
母を怒らせてしまえば、無視をされ、泣きながらに許しを請うてもなかなか許されず、絶望するような寂しさに身を置くしかなかったのです。
幼い頃から、ルールでがんじがらめにされ、とても厳しく育てられました。
また別の記事で詳しくお話ししますが、後に養父となる人からも、それはまた酷いDVを受け、それでも「結婚するまでは家から出さない」というルールの元、私は息詰まりながら生きていました。
大学に入ってから、周りの友達に私の生い立ちを話すと「積木くずし」「児童養護施設案件」とよく言われました。
それと同時に言われたのは、
「箱入り娘ならぬ“檻入り娘”だな」
でした。
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