【LAP8期】7月 ジェンダー単元 予習記事
Dチーム(糸浜な森) 小澤ななせ
<課題1>
以下のそれぞれの状況であなたならどう対応するかを考えてください。
あなたは、インビジブル国に生まれて育った大学生です。インビジブル国には、格差がなく、誰もが平等に暮らす社会だと感じてきました。ところが、政権が変わり、実はこの国には世界でも最下位にランクされるほど、大きな格差が存在することが、発表されました。そして、国民の一人一人に生まれながらにしてついていた特権スコアが通知されたのです。
※「特権」とは、「あるマジョリティー側の社会集団に属していることで労なくして得る優位性」と定義しています。「本人の労なくして得ることができる優位性」というのは、たまたまマジョリティー側の社会集団に属することで、自動的に受けられる恩恵のことです。たまたまマジョリティー側の集団に属していることから、本人が気づきにくいとも言われています。
状況1
あなたは特権スコアの高い集団に属していることがわかりました。家族や友だちの中には特権スコアの低い集団に属する人もいます。この状況をあなたはどのように受けとめますか。また、日常生活のさまざまな場面で、特権スコアの低い人たちから、特権スコアの高い人たちのせいで、自分たちは傷ついている・不安だ・不自由だと言われるようになりました。あなたは、どのような行動をとりますか。
考えてみての率直な感想は、「イメージがわかない」だった。なぜなら私自身、「状況2」として生きてきたと感じているからだ(後にチーム内で交流した中で、「特権とは?が分かる動画」を閲覧し、軽率に「私は状況2だ」とは言えないことを学んだ)。スコアによって人との関わり方を変えるようなことはないが、これまで「状況1」だと感じる経験が少なかったからこそ、正直にいえば優越感を覚えてしまうかもしれないと思った。
どのような行動をとるかについてだが、これについて考えていると「そもそも格差って具体的に何?」という疑問が浮かんだ。お金や食料のように分配できるものなのか、能力のように努力で解消できるものなのか、家庭環境やジェンダー不平等のように個人の力では簡単に解決できないものなのか……。格差が何なのかによってアプローチの仕方は変わるが、特権スコアが低い人たちの助けになれるよう動きたいと思う。
ただこの「助け」には、一つ条件が付いてしまう。これもチームミーティングで気づいた。それは、「極端に特権スコアが低い人とまるっきり生活を入れ替わる」といった助け方は、私にはできないということだ。例としては、「南アフリカで苦しい生活をしている人を助けるために、居住地を入れ替えて生活する」というようなものが挙げられる(これは少し極端な例かもしれないが)。自分が今持っているものを失うのが怖いと感じてしまった。助けるとしても、現時点の私は、「特権スコアが高い状態は変わらないまま、低い人たちの助けになれるよう動く」ということしか出来ないのだと気づいた。
状況2
あなたは特権スコアの低い集団に属していることがわかりました。家族や友だちの中には特権スコアの高い集団に属する人もいます。この状況をあなたはどのように受けとめますか。また、日常生活のさまざまな場面で、特権スコアの高い人たちの言動に傷つき、不安を覚え、不自由な生活を送ることになりました。どのような行動をとりますか。
どのように受け止めるかについてだが、はっきり言って、この状況のほうが慣れていると思った。状況1でも述べた通り、本来安易にこのような発言は出来ないが、私はこれまで「状況2として生きてきた」と感じている部分があるのも事実だ。つまり、考えることも行うこともいつもと変わらない。自分のスコアが低いならば劣等感を感じてしまうときもあるし、心を病んでしまう日もある。けれど、ずっとそのままになっているだけでは何も変わらない。少しずつ、状況を変える努力をする。自分一人では状況が変えられないなら、人に協力を仰いだり、見方や考え方を変えたり、他で何か自分が「輝ける」場所を見つけて補ったりする。うじうじしているだけでは自分を変えることは出来ないし、自分のことも好きになれない。自分のペースで、自分の納得のいくまで、何かしら行動を起こすと思う。
状況3
もし、あなたが、自分の特権スコアを選べるとしたら、高いスコア、低いスコアのどちらがいいですか。それはなぜですか。
私は高いスコアを選ぶ。理由はいくつか挙げられるが、まず一つ目は高いスコアを経験したいからだ。何度も述べている通り、私はこれまで低いスコアだったと感じた経験があるので、高いスコアの世界を知りたい。それに関連して、もし低いスコアだった場合に必要だった努力が、高いスコアに生まれることで必要なくなるのなら嬉しいという気持ちも、正直なところある。また単純に、低いスコアに生まれることによる苦しみを恐れてしまっている気持ちもある。
もう一つの理由は、力がある人のほうが出来ることが多いからだ。お金を例にすると分かりやすい。当たり前だが、財力のある人はない人よりも出来ることが多い。たくさんのものを購入でき、たくさんのサービスを受けられる。低いスコアに生まれていた場合、何かに取り組みたいと思っても「低いスコア」が足かせとなって簡単に行動を起こせないかもしれない。
ただ、一つ心配なことがある。私は、「恵まれない」部分があったからこそ、今の自分がいるのではないかと思っている。いくつも欠点があったからこそ・あるからこそ、そこに向き合い努力をする自分を形成してきた。つまり、最初から恵まれていては、そんな自分に胡坐をかき、努力しない自分になってしまうのではないかと思うのだ。確かにこれまで苦しい時期はいくつもあったが、その全てが今の私の形成に繋がっているのも事実だ。高いスコアか、低いスコアか。難しい選択だと感じた。
<課題2>
どんな社会にも、その人の行動や選択に関係のない条件(アイデンティティや環境)によって開閉に差がつく見えない自動ドアが存在しています。(※の資料を参照ください)
※特権に気付き社会を変えるマジョリティーへの教育を 出口 真紀子さん
http://ictj-report.joho.or.jp/2106/sp01.html
1.現代日本社会のジェンダー不平等の自動ドアの存在を意識、経験したことはありますか。課題資料も読み込み、自分やまわりで感じた具体的な例も踏まえて、考えを共有してください。
★課題資料(必読)
女性活躍・男女共同参画の現状と課題
自動ドアの存在について、多くは思い浮かばなかった。自分は結婚もしていなければ、社会人として働いているわけでもない。資料で提示されているような問題は、ニュースで聞いたり話を聞いたりしたことはあっても、実際に身近に存在したかというと、そうではなかった。
一つ思い浮かぶことがあるとすれば、家庭環境だ。私は過去に家庭環境が苦しい時期があった。毎日家出をしたいと悩むくらい苦しくて、幸せそうな家庭はどこか違う世界に存在しているかのように見えていた。今は落ち着いているものの、私の家は母子家庭であるため、資料を読んでいると共感する部分がいくつかあった。分かりやすいのは経済的な問題だ。両親の揃っている家庭、母子家庭、父子家庭の中で、経済的に最も苦しいのは母子家庭だ(資料p28)。食事や水道の心配などは全くせずに生活できている時点で、とてもありがたいのだということは理解できる。奨学金など、助けてくれる人や機関もいる。ただ、決して裕福だとは言えないし、財源不足が原因で過去に出来なかったこともある。このように考えると、私にとってのジェンダー不平等の自動ドアの一つとしてこれが挙げられるのではないかと感じた。
2.ジェンダー以外で、自動ドアの存在を意識、経験したことはありますか。自動ドアのセンサーが反応する人、しない人の立場を経験して、自分ができることは何があると思いますか。
これについても、思い浮かんだのは家庭環境に関するものだ。ただ、今回は問いの条件にもあるようにジェンダー以外の観点によるもので、ありていに言えば「いい親の元に生まれたかどうか」ということである。
ジェンダー以外の自動ドアの存在としてこれを挙げたのは、私が知るだけでも4つ例があるからだ。まず一つ目は、前述の通り私自身の過去の家庭環境。二つ目が、私の親しい先輩。勿論詳しくは述べられないが、初めて話を聞いたときは、本当にこれが身近に存在する話なのか、私がずっと仲良くさせてもらっていた先輩はそんな過去を抱えていたのか、と衝撃を受けた。信じられなかった。三つ目は、インスタグラムで掲載されている漫画。幼少期に母子家庭になり、社会人になって暫く経つまで母親に苦しめられ続けた方が、自身の人生を綴っているものだ。最後に、また別の漫画のキャラクターだ。この漫画は様々なキャラクターの人生を章ごとに綴っているもので、現代女性とそれを取り巻く社会がリアルかつ痛烈に描かれていることから、絶大な支持を得ている。私が取り上げているのはそのうちの一人だ。これに関しては、「いや、それはあくまでキャラクターでしょ?」という意見もあるかもしれない。確かに、そうだ。しかし私が注目しているのは漫画そのものだけではない。その漫画に寄せられているコメントである。そのキャラクターと同じような人生を歩んできた人が、共感の声を多く挙げているのである。ちなみにこれは、三つ目の例にも当てはまる。この世には、家庭環境に苦しんで育ってきた人がそれだけ多く存在するのだと分かる。
自分が出来ることについてだが、私は「自身が自動ドアが反応しない部分」の問題解決に取り組むべきだと思っている。例えば今回私が思い浮かんだのは「家庭環境」の問題だったので、家庭環境が原因で何かしらの苦しみを感じている人の力になれるよう取り組むということになる。また他にも、勉強や美容、歌など、自分がこれまで努力してきた経験のある分野に関しても誰かを助けることが出来る。
こう考えたのは、「自動ドアが反応する人」は「反応しない人」の苦しみを知らないからだ。自分の知らない「苦しみ」を解決するには、まずその苦しみを理解することから始めなければいけない。時間がかかってしまう。それよりも、自分自身が身をもって体験していることの方が取り組みやすいし、自らの経験を発揮して問題解決の力になれる。私は、「特権スコアが低かったからこその経験」を生かして、同じように特権スコアが低い人を助けられると嬉しいと思う。
○日本の男女共同参画の現状のデータを読んで気づいたこと
(こちらは軽めに取り組んでいます)
・管理職や国会議員など、統括者に当たるポジションにおいて女性の割合が非常に低い。これは国や企業の運営に関わる。統括者が男性ばかりだとどうしても女性への配慮が難しくなってしまう。例として、岸田総理の「育休中の学びなおし」発言で炎上した件が挙げられる。
・女性は家庭と仕事の両立ができていない。L字カーブや賃金格差が見られる。女性は家庭寄りになる。しかしこれに関しては男性も同じかもしれない。男性は仕事寄りになるからだ。
・女性のほうがこれだけ苦しい状況で生きているのに寿命が長い。これは生物学的なものなのか?それだけではない何かほかの理由があるのか?
少し長くなってしまったかもしれませんが、課題への回答は以上です。
ジェンダー課題に取り組みながらずっと悩んでいたことが一つあるので、それについて述べてから予習記事を終わりたいと思います。それは「特権スコア」の解釈です。
課題中にも説明されている通り、「特権スコア」は「労なくして得られる優位性」「自動的に受ける恩恵」です。例えば今回のようなジェンダー格差、経済格差、家庭環境、生まれ持った容姿、こういったものに関する課題はあてはまると思います。
ただ私は、途中から特権スコアとして「生まれ持った才能」もカウントしていました。例えば運動能力、学力(IQ・要領の良さなど)、芸術センスなどです。自分でもこの違和感を上手く言葉に出来ないので最後まで悩み続けたまま課題に取り組んでしまいましたが、出来る限りで言語化したいと思います。
まず一つは、解決の難しさの違いです。それこそジェンダー格差は、短期間では解決できず、一人でも解決できません。ただ「才能」に関しては、自分一人でも努力は出来ます。もう一つは、人生に及ぼす影響の大きさです。「特権スコア」が極端に低いと、当たり前の生活が当たり前にできません。しかし「才能」に関しては、最悪最初から持っていなくても、ある程度までは同様に自分で努力できます。
「特権スコアは低いが、才能はある」状態と、「特権スコアは高いが、才能はない」状態では、人生の難しさが違うと考えます。なんというか、共通する部分はあっても、問題としての重みが違う気がするというか。そんな感じです。明確な答えを出せないまま課題に取り組んだので、それが表れた回答になっていると思います。
境界線がどこにあるのかについても考えながら、当日の講義に取り組みたいと思います。
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