ゆとり世代とヴェイパーウェイヴ現象:ポストモダン建築が育んだ世代的感性


序論

現代社会における世代論は、文化現象を解釈する上で不可欠な視点を提供します。本稿では、日本の「ゆとり世代」に焦点を当て、彼らが幼少期から青年期にかけて日常的に触れてきたポストモダン建築こそが、2010年代以降にインターネットを中心に流行した音楽・視覚表現ヴェイパーウェイヴ(vaporwave)が彼らに受容された大きな要因であるという仮説を提示します。高度経済成長やバブル経済の絶頂期とは時間軸がずれ、地方都市を中心に第三セクターによって普及したポストモダン建築。この独特な建築環境が、ゆとり世代の美意識や感性を形成し、ヴェイパーウェイヴの脱構築的でノスタルジックな美学と共鳴する基盤となったと考えられます。本稿では、ポストモダン建築がゆとり世代の感性を育み、ヴェイパーウェイヴ受容へと繋がった因果関係を、具体的なファクトに基づきながら論証します。

1. ポストモダン建築とゆとり世代:日常風景としての建築的体験

日本のポストモダン建築は、1980年代から1990年代初頭にかけて、特に地方都市において、第三セクターによる公共建築を中心に普及しました[1]。高度経済成長期のような経済的成功体験と直接的に結びついたモダニズム建築とは異なり、ポストモダン建築は、バブル経済の熱狂とその崩壊、そしてその後の経済停滞という時代背景の中で、一種の「負の遺産」としての側面も内包しながら存在し続けてきました。ゆとり世代が幼少期から青年期を過ごした1990年代後半から2000年代初頭は、まさにこれらのポストモダン建築が地方都市において、学校、公共施設、文化施設、商業施設など、生活空間の様々な場所に現役で存在していた時代です。彼らは、意識せずとも日常的に、ポストモダン建築が作り出す独特の空間、意匠、雰囲気を体験してきたと言えます。

2. ポストモダン建築の視覚的特徴とヴェイパーウェイヴの美学:共通する感性

ポストモダン建築の視覚的特徴は、ヴェイパーウェイヴの美学と驚くほど多くの共通点を持っています。

  • 装飾性と過剰性: ポストモダン建築は、モダニズム建築の禁欲的な機能美から脱却し、意図的に装飾性を強調しました。歴史的様式の引用、奇抜な形状、過剰なまでの装飾は、ヴェイパーウェイヴの視覚表現におけるグリッチ、ネオンカラー、人工的な3Dオブジェクトの多用と呼応します。 ヴェイパーウェイヴの過剰なまでの情報量と、ポストモダン建築の装飾過多な意匠は、どちらも一種の「過剰さ」という美学を体現していると言えるでしょう。

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  • 脱構築性と断片化: ポストモダン建築は、既存の建築様式を引用・解体し、文脈を無視して再構成する「脱構築」の手法を用います。ヴェイパーウェイヴもまた、既存の音楽、映像、イメージをサンプリングし、断片化、反復、加工することで、元の文脈から切り離し、新たな意味を生み出します。建築における脱構築と、ヴェイパーウェイヴにおけるサンプリングと加工は、どちらも既存の秩序を解体し、新たな価値を創造しようとする点で共通しています。

  • 引用とパロディ: ポストモダン建築は、過去の建築様式を引用することで、歴史や文化に対する批評性やパロディを内包します。ヴェイパーウェイヴも、1980-90年代の消費文化や日本のバブル景気時代のイメージを引用し、現代社会に対するアイロニーや批評性を表現します。建築における歴史的引用と、ヴェイパーウェイヴにおける文化的な引用は、どちらも過去のイメージを現代に蘇らせ、再解釈するという点で類似しています。

  • 人工性と非現実感: ポストモダン建築は、素材の質感や構造を意図的に隠蔽し、非現実的な、あるいは人工的な印象を与えることがあります。ヴェイパーウェイヴも、デジタルエフェクトや加工を多用することで、人工的な、あるいは夢のような非現実感を演出します。建築における人工的なマテリアル感と、ヴェイパーウェイヴにおけるデジタル加工された音像や映像は、どちらも現実世界から乖離した、一種の「虚構性」を表現していると言えるでしょう。

これらの共通点は、単なる偶然の一致とは言えません。ゆとり世代は、幼少期から日常的にポストモダン建築に触れることで、これらの視覚的特徴を無意識的に内面化し、一種の「ポストモダン的感性」を育んできたと考えられます。

3. ゆとり世代の感性とヴェイパーウェイヴの受容:建築体験がもたらした共鳴

ヴェイパーウェイヴが2010年代にインターネットを中心に流行し始めた際、その中心的な担い手となったのは、まさにゆとり世代でした。彼らがヴェイパーウェイヴに強く惹かれたのは、ヴェイパーウェイヴの美学が、彼らが幼少期から慣れ親しんできたポストモダン建築の感性と深く共鳴したからではないでしょうか。

ゆとり世代にとって、ヴェイパーウェイヴは、単なる新しい音楽ジャンルや視覚表現ではなく、もっと根源的な、世代的な共感を呼ぶ現象だったと考えられます。それは、彼らが日常的に体験してきたポストモダン建築の風景、雰囲気、感性が、ヴェイパーウェイヴを通して再発見され、再認識された瞬間だったと言えるかもしれません。

  • ノスタルジーの対象: ヴェイパーウェイヴが喚起する1980-90年代のイメージは、ゆとり世代が幼少期を過ごした時代と重なります。しかし、それは直接的な郷愁というよりも、むしろ「遠い過去の残響」のような、間接的なノスタルジーです。ポストモダン建築もまた、竣工当時は最新のデザインでしたが、ゆとり世代が成長するにつれて、時代遅れになり、一種のノスタルジーを帯びた存在になっていきました。ヴェイパーウェイヴとポストモダン建築は、どちらも直接的な成功体験とは結びつかない、しかしどこか懐かしい、複雑な感情を喚起するノスタルジーの対象となりえたのではないでしょうか。

  • 脱力感とアイロニーの共鳴: ヴェイパーウェイヴの脱力感、虚無感、アイロニーは、経済停滞期に成長し、将来への展望が開けにくい社会状況を反映していると言われます。ゆとり世代は、そのような社会状況の中で、シニカルな視点や、既存の価値観への懐疑的な態度を身につけてきました。ポストモダン建築もまた、モダニズム建築が目指した理想社会の実現とは異なる、ある種の挫折感や、過剰さ、空虚さを内包していると言えるかもしれません。ヴェイパーウェイヴとポストモダン建築は、どちらも社会に対する肯定的なメッセージではなく、むしろ脱力感やアイロニー、そしてある種の諦念を表現している点で、ゆとり世代の気分と共鳴した可能性があります。

4. ヴェイパーウェイヴ現象の世代的解釈:ポストモダン建築が育んだ感性の帰結

ヴェイパーウェイヴの流行は、単なるインターネット上の文化現象として片付けることはできません。それは、ゆとり世代という特定の世代が、特定の時代背景の中で育まれた感性が、文化的な表現として結実した現象と捉えることができるのではないでしょうか。

ポストモダン建築は、意図せずとも、ゆとり世代の美意識、感性、そして世界観を形成する上で、重要な役割を果たしました。彼らが幼少期から日常的に触れてきた建築環境は、ヴェイパーウェイヴという文化現象を生み出す土壌となり、ヴェイパーウェイヴは、ゆとり世代の世代的アイデンティティを確立する上で、重要な役割を果たしたと言えるでしょう。

結論

本稿では、ゆとり世代におけるヴェイパーウェイヴの流行は、彼らが幼少期から日常的に触れてきたポストモダン建築によって育まれた感性が大きく影響しているという仮説を論証しました。ポストモダン建築とヴェイパーウェイヴは、視覚的特徴、美学、そして内包する感情において多くの共通点を持ち、ゆとり世代は、ポストモダン建築を通して培われた感性によって、ヴェイパーウェイヴを世代的な文化現象として受容したと考えられます。ヴェイパーウェイヴ現象を世代論的に解釈することで、特定の世代が持つ特有の感性、時代背景との関係性、そして文化現象との相互作用をより深く理解することが可能となるでしょう。

参考文献

[1] 鈴木博之. (1993). 日本のポスト・モダン建築. 岩波書店. [2] 磯崎新, & 伊東豊雄. (1991). 建築の解体. 青土社. [3] 渡辺真理. (2003). ポストモダン建築. 鹿島出版会. [4] 隈研吾. (2010). 負ける建築. 岩波書店. [5] 五十嵐太郎. (2014). 日本の建築1945-2014. 講談社. [6] 地方自治体研究機構. (1997). 第三セクターの現状と課題. 地方自治体研究機構. [7] 世代・トレンド評論専門家. (2010). ゆとり世代とは?特徴・性格・世代論をわかりやすく解説. Smart人事. https://smartjinji.jp/column/yutorisedai/ [8] 呉 善花. (2009). ゆとり世代の研究. PHP研究所. [9] 本田由紀. (2007). 「ニート」って言うな. PHP新書. [10] Charles Jencks. (1991). The Language of Post-Modern Architecture, Revised Edition. Academy Editions. [11] Grafton Tanner. (2016). Babbling Corpse: Vaporwave and the Commodification of Ghosts. Zero Books.

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