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テンプレートについて考えてみる


はじめに

仕様書、報告書、履歴書、
社内共通スライド、ログイン設定画面etc….

私たちの仕事を取り巻くさまざまな情報は、一定の枠組みが設計された記録として、時間を超えてアクセスできるようになります。(ここでは、そうした特性のあるものをテンプレートと呼ぶ)

私たちは、そうしたテンプレートを通じて、擬似的な時間超越体験を日々行うことで、過去に積み立てられた価値や情報を現在に持ち込むことができると言えます。

それと同時に、それらを付加価値として組織や還元するそのサイクルを繰り返すことで、いわゆる生産性向上のためのカタ化に着実に繋がっていくための有効な業務になり得ます。

そのためテンプレート化は、組織としてリソースをかけるべき業務であると言えます。

今回私が述べてみたいのは、そうしたテンプレートについてです。

ここでは、テンプレート化=将来的なアクセス性を基本ステータスとして付与された、任意の項目の集合体として定義します。


web等で”テンプレート化”と調べると、多くの方から開発のためにドキュメント化をすべき、将来の負荷低減のためにドキュメント化は重要であるといった意見は多数あり、私もそれらには同意します。

とはいえスピード感を持って進めるフェーズでは、そのテンプレート化におけるコストとのトレードオフを考えるべきなどの声も一方であります。


この辺りのテンプレート化と、事業フェーズやタイミングについてのバランス感覚については、今回は述べません。

まず初めに論じたいのは、 それぞれのテンプレートは組織の中でどのように構築されるのか、そしてそれらはどのように表層化されるかのテンプレート完成までのプロセスまでの話です。

次に、それらを私たちはどのように参照し、自身のリソースを投下すべきなのかについて考えてみたいと思います。

情報の容量全てを記録することは不可能である


前提として、まずはどのようなステップ0があるのか、考えてみました。

ここで言いたいことは、テンプレートは結果しか表層化しておらず、その結果に至るまでのプロセスは構造上言語化されていないということです。

前提として、意思決定プロセスにおける経緯全てをテンプレート化することはおろか、ドキュメント化することも、理論上は可能でも事実上不可能な話でしょう。

Aという価値を提供すると提供者側で確定し、それが享受者側に展開されるまでには、ステークホルダーの間で、我々が観測できるか否かは問わず、刹那な泡沫のように「”A”みたいなもの」が生まれては弾けています。そして、そのAを取り巻く環境要因を含め、"A"の輪郭が一定浮き彫りになって、組織の恣意的な閾値を超えたとき、初めて”A”が定義されるようになると考えます。

組織と人は、その「A〜のようなもの」の状態を言語化する業務について、コトバの選択と記述量的コストを鑑みるに、勤務中に全てを正しく遂行することも推敲することも現実的でないといえます。

となると、自然的に上記のプロセス記述のコストは嫌われて、逆にその結果自体は経過とともに既に組織としては収斂されているわけであるので、原則、意思決定プロセスよりはその結果を記述する方が、テンプレート内で言語化される領域として支配的になるのは自明でしょう。

つまり、結果としてテンプレートには、そうしたカオス期の変遷に関しては文字列上存在しておらず、我々としては最終的な結果のみが確認できるものとなります。

テンプレートが組織に影響すること

良いテンプレート=スキルが不要になっていく

良質なテンプレートには、

・常に一定のクオリティを担保されている状態を実現すること
・それをいかに低コストで実現すること

の2つが重要なファクターになると私は考えます。

特に後者においてですが、低コスト=なるべく属人化しないと考えると、そのテンプレートに関しては、満たすべきそれぞれの項目ごとの獲得難易度の低さも一つの目指すべき方向性となることは自然的でしょう。

つまり、先述したようなカオス期が表層化していないことはもちろん、そのテンプレート満たすことで達成できる目的までの最短距離にいかに近づけるかといった観点もさらに加速させるファクターとなり、結果としてテンプレートはその最小限のエッセンシャルな情報のみに洗練されていることでしょう。

そして、業務の主体となる個人目線でそうしたテンプレートを考えた際、そのテンプレートそのものを埋めるスキルに関しては、テンプレートが良質であればあるほど、上記の理由から高くなくても成立すると言えるでしょう。

このように、組織としては付加価値を与えるが、個人としてはスキルを求められなくなるために、一部のテンプレートには、そうしたテンプレートのジレンマといったような状況が観測されると、私は考えます。

一方で、今回論じているテンプレートの流動性を組織に還元し、更なる生産性向上において具体的に何らかのアクションを行うということは、組織として極めて重要な業務、生産的な業務であるといえます。

テンプレートでカタ化されている業務、体系的に成り立っている業務を行っている中で、私たちがよりその業務領域でパフォーマンスを出せるようにするために、どのような視点を持って日々の業務をすれば良いのかを考えてみたいと思います。

もしもあなたが今、担当している業務になれてしまって、ある意味業務テンプレート化しており、日々に飽きや焦燥感を抱いている場合は、ぜひこちらの視点で自身の業務を振り返ってみてください。

テンプレートを個人が活用する方法

テンプレート項目の行間を読む

テンプレートの文字列は、結果が支配的であり、そのため情報として隠れている要素が必然的に生まれます。

さらに、低コストで作成できることを目指すため、その項目は洗練され、本当に必須な情報に集約されることにより、さらに情報は要約的になります。

そうしたテンプレートに出会った我々が、まず初めに持つべき視点は、
"テンプレートの作者はなぜこの位置に、この項目を配置したのか"
ではないかと考えます。

つまり言い換えると、テンプレートがその形態に至るまでのカオスの領域に、自身の仮説や仕入れてきた情報を持って、極めて懐疑的な視点でそのテンプレートを観察することで、そのテンプレートに至るまでの”自身が関与していない領域”へのアクセスを実現させるという形になります。

業務分担されている個人にとって、その自身の職域の内と外を意識したことはあるでしょうか?
これは必ずしも同時系列上での話ではなくて、時間を超えた状態でも視点として有用です。

"今"私がやっているこの仕事は、組織として考えた際に、過去、もしくは未来には誰がやっていたのか、誰がやるのかという視点で職域を考えることで、自己中心的ではなく、組織成長に直結した形の業務を遂行する視点を養うことができると考えます。


懐疑的視点から発生する、テンプレートの更新に関与する


先述の通り、行間を読むことで発生するクエスチョンについては、ただ自身の中で自己消化するだけでは、極端な話なんら組織還元にならないと言えます。

それこそ、今あなたが感じた感覚については、冒頭述べた”Aのようなもの”をすでに言語化できた組織に対して、”AはBではないか?”であったり、”Aは、A’でも良いのではないか”と言った一種の挑戦的な要素にもなり得ます。

つまり、テンプレート化で秩序化された領域に、自身の懐疑的視点から、カオス化に逆行させることができる権利をあなたはこの懐疑から獲得したこととなります。
これは、組織として更なる成長、もしくは停滞衰退を促す大きな撹拌行為になりうる可能性もあります。

その権利の行使オプションの選択権と、タイミングの見極めはもちろんその懐疑をもった主体に委ねられますが、組織はそうした異物混入に関して、極めて自然的に処理できる能力を搭載できていることを忘れてはいけません。

例えば、以下のような会話が組織内で生じることでしょう。
これは、本日何度も話している、テンプレート化およびそのテンプレート化をカオス化へ引き戻すことによって生じる内容と言えます。

【会話例】

Q)
「いつも利用しているテンプレートに対して、一つ不要だと考えている項目があると思う。これはなぜあるのか?」

A)
「確かに、、、気づかなかったがこれは不要かもしれない。消しておくよ、ありがとう」 by上司

「実は、メンバーにはまだいっていなかったのですが、来年にはその項目のデータを活かした新機能をリリースしようと思っているんです」 by取締役

「これはね、昔実装していた機能の名残で残っていて、ずっと消したいと思っているんだけどなかなか裏側は複雑になってしまっていて、、」by古参メンバー

上記のようなケースは、私もいくつかの開発実装の時に、どちらの立場でも経験しておりました。誰かに伝える時もあれば、聞くことで知る時もある。どちらにせよ、新たな視点でテンプレートを見るきっかけにはなりました。

もちろん場合によっては、もはやあなたが想起していなくても、誰もが自明に感じるような、破壊的なインパクトを有する提言もあるかもしれません。

ですが多くの場合は、組織は異物混入やノイズに関して、組織としてのチューニングをした上でその異物を迎合するか、もしくはそれらを排除するかの選択を自然に行えると私は考えています。

(一応)懐疑的視点はあくまで事象に対してのみ

その一方で正しく把握しておくべきは、組織ではなく組織構成員の人間に関してです。

人間は皆感情があります。
人間にはその異物混入に関して、機械的に処理するのではなく、自身の不利益や、自己否定に繋がっているのではないか?といった、エモーショナルな部分での処理項目が、これまた自然的に搭載されています。

だからこそ組織の構成員同士の信頼性や心理的安全性といった部分が重要視されると私は考えているのですが、この領域に関しては今回はこれ以上は論じません。

ただ、一点言えることは、誰しも否定的、懐疑的な情報を受け取るときに、100%何も感じずに受け取るわけではないと私は考えます。

まとめ

テンプレート化のジレンマ。
組織は体系化し、加速するが、それに伴い個人が受動的に収集できる情報が表層、希薄化するため、その分希薄された分の情報収集コストは、個人側では増加するということを私は考えてみました。

そうしたテンプレート化された業務に携わる際に、後発として個人が価値提供するためには、上記のようなカオス化の提言をする必要性があると考えます。

それでも、組織は既に体系化されている状況でもありますので、このカオス化への提言は収束するといっていいでしょうから、みんな色々チャレンジしても大丈夫!(多分)

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