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Essay Fragment/ 追憶のブランディーユ ③ 取り壊された駅舎

🎦  文中のある言葉の肩口に、ママと振ってある。中学生のときのことだ。ママ( mother ?)って何だと思った。
その意味を知ったのは、違う本で今度は、まま、という表記に出会ったときだった。儘 (まま) 、つまり表記に意味がややわからないところがありますが、という前提付きの注意ポイントかとやっと当たりがついた。なんとぶっきらぼうな案内かと思ったが…
 しかし、ママと振られるのは作者にとっては名誉である。解釈難解 書き間違い?校正者には意の通りにくい言葉と見えても、あくまでも作者の原文を尊重して、推察によって修正の手を入れないのだから。
まま、は読者へ委ねた問いで、効あって真意が後 (あと) で読者によって解明される例がいくつもある。
 普段の暮らしの中でも、複雑な思いをどうにか簡素に伝えようとしゃべっている途中で、言葉を校正したくなるときがあるものだ。相手に、意の伝わらない言い方になっているなあ、と感じて言い直してみるが、結果は同じことだ。相手が、( はて ) と感じているだろうと思いつつも、その部分にママ、と添えて聴いてもらうことを願うしかない。
 こちらが聞き手の場合だと、何か意味のありそうな言葉と感じながら、そのときの受け取り方としては、ママ、と添えて記憶している言葉に、ずいぶん後 ( のち ) になってから   ( はっ ) と気づくことがある。あのときの言葉の意味は、こういうことだったろうと。
突然新しい風が立ち上がってくるのだ。表現の真意を拾えなかったのは、こちら側の心の視線の狭さゆえだったと、そのとき初めてわかる。

🚉 故郷の町の駅舎が、一片残さず唐突に取り壊された。駅員のいない駅舎として残るばかりだったが、私はいくたびも待合室のベンチに座りに行った。私にはその駅舎は、浜に置き捨てられてなお朽ちない廃船だった。歳月の波に洗われ続けたその船板… 
今、そこは鉄道の乗り降り用岸壁にすぎない。 駅舎が消えてしまった風景の中では、追憶との交わり方がぎこちなくなってしまった。駅舎のあるうちは聞こえなかった声が聞こえて来る。追憶など無益 今日を生きる身に何の用がある… 
駅舎のない虚 ( うつ ) ろな空間がある人の死を思い返させる。その人のまわりに集まっていた人たちの心のうちを。談話の座を生み出す人だったが、その人が亡くなると談話の座も消えてしまった。廃船の船板に触れて浸っていた私の瞑想 ( めいそう ) 。あれは追憶というべきものではなかったのだろう。
私は訥々 ( とつとつ ) と談話をしていたように思う。静かに老いゆくままに生きていた駅舎と。たとえばそれは、滑りの鈍くなった一本の万年筆とでも、もう動かない時計とでもきっと同じだ。肌身で触れる確かさを失ったときから、追憶が航跡を曳き始めるのかもしれない。
帰らないものへの、愛惜 ( あいせき ) の術 ( すべ ) として。

                 令和5年6月                   瀬戸風  凪
                            setokaze nagi


 
 
 
 

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